霧島神宮は、天照大神の「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は是れ吾が子孫の王たる可き地なり 宜しく爾皇孫就きて治せ行くませ 寳祚の隆えまさむこと當に天壌と共に窮無かるべし」との御神勅を戴き、三種の神器を捧持して高千穂峯に天降りまして、天壌無窮の皇基を建て給うた肇国の祖神である天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊を主祭神として奉斎しています。相殿には嫡后の木花開耶姫尊、御子神の彦火火出見尊と嫡后の豊玉姫尊、御孫神の鸕鷀草葺不合尊と嫡后の玉依姫尊、御曾孫神の神日本磐余彦尊(神武天皇)の六柱の皇神を配祀しています。
日本で最も古い書物である古事記および日本書紀に、瓊瓊杵尊が「筑紫日向高千穂久士流多気に天降りましき」「日向の襲の高千穂峯に天降ります」と記されている霊峰が霧島神宮の背後に天高く聳立つ高千穂峰です。崇高秀麗な山容の高千穂の頂上には「天の逆鉾」が祀られています。
遠い神代の古から御由縁のこの霊峯に奉斎されていたと伝えられて居り、旧記によると欽明天皇(540-571)の御代、慶胤上人という僧に命じて、高千穂峰と火常峰(御鉢の旧名)の間の「脊門丘」に社殿が建立されたのが始まりとされます。
『延喜式』に日向国諸県郡霧島神社と登場する霧島神社の論社とされますが、噴火のため焼失し、村上天皇の天暦年間(947-957)天台宗の僧である性空上人が御鉢の西麓の「高千穂河原瀬多尾越(現在の高千穂河原の古宮址)」に再興奉遷しました。ここも噴火のため炎上し、文暦元年(1234)の大噴火により神殿、僧坊等がことごとく災禍に遭い、霧島市霧島田口の待世神社のあった地(霧島中学校北側)に仮宮として250年間奉斎されます。
『延喜式神名帳』延長5年(927)編纂
西海道神一百七座[大卅八座・小六十九座]。
…(略)…。大隅國五座[大一座・小四座]。桑原郡一座[大]。鹿兒島神社[大]。囎唹郡三座[並小]。大穴持神社、宮浦神社、韓國宇豆峯神社。馭謨郡一座[小]。益救神社。
文明16年(1484)真言宗の僧、兼慶上人が島津氏第11代当主・島津忠昌の命をうけ、再興したのが現在の霧島神宮です。歴代島津氏の崇敬が篤く、しばしば祈願奉賽、神領宝物の寄進御造営など敬神の誠が捧げられました。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称され、霧島山を中心とした修験僧による霧島六社権現信仰の中心的役割を果たしていました。別当寺の華林寺は、本地堂に十一面観音を祀り、霧島六社の別当寺を全て統轄していました。
・霧島神宮 (西御在所・華林寺)
・霧島東神社(東御在所・錫杖院)
・霧島岑神社(中央権現社・瀬多尾寺)
・東霧島神社(東霧島権現社・勅詔院)
・狭野神社 (狭野権現社・神徳院)
・夷守神社 (雛守権現社・宝光院) ※現在は夷守神社として霧島岑神社に合祀。
明治7年(1874)2月に「霧島神宮」と社号を改定し、官幣大社に列格されました。
現在の社殿は正徳5年(1715)、島津氏第21代当主・島津吉貴の造営寄進により再建した物です。絢欄たる朱塗りの入母屋造の本殿、拝殿、登廊下、勅使殿、門守神社等、その配置は妙を得て輪奐の美をなしています。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施され、本殿・幣殿・拝殿・登廊下・勅使殿は平成元年5月には国の重要文化財の指定を受けています。尚、一般に参拝できるのは勅使殿までで、中に入り登廊下を登った建物が拝殿です。
神事としては、旧暦2月4日に「御田植祭」が大祭として斎行されています。「御田植祭」は、天照大御神から瓊瓊杵尊が高天原の稲種子を御授かりになり耕作せられた故事により、五穀豊穣を祈願する行事です。境内の神苑内に設けられた御田植祭場において仮装の老翁老媼が仮装の牛を使って耕作の所作をした後、神職が御田植の所作をなし、しゃもじを担いだ田之神が登場して五穀豊穣を祈願します。「田の神舞」は、300年以上の歴史を持つとされ、県無形民俗文化財の指定を受けています。
社殿前には、御門の守護神である櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀る門守神社があり、国指定重要文化財の附指定されています。御神木の杉は樹齢約800年以上と推定にされ、南九州の杉の祖先ともいわれています。社殿の向かって右手には、後一条天皇の命によりこの地を治めた藤原篤如命を祀る税所神社が鎮座しています。
社殿を正面に見て左手の参道を進むと旧参道と登山道に分かれます。
登山道には、大山祗神を祀る山神社が鎮座しています。
亀石坂とも称される旧参道口には、御手洗川が流れており、天忍雲根命、水波能売神、市岐島姫命、大名牟遅神を御祭神とする若宮神社が祀られています。御手洗川は、霧島の七不思議のひとつとされ、岩穴から湧き出る水が小川となって流れ出ています。川の水は、11月から4月ごろまではほとんど枯れていますが、5月ごろから非常な勢いで大量の水が湧き出ます。この時は、魚も一緒に湧いてくると言われます。水の質は清明で、天孫降臨の際、高天原から持ってきた真名井の水が混じっていると伝えられています。その隣には、天照御大神を祀る鎮守神社と霧島を修験の霊場として開山した性空上人墓が奉斎されています。
参道の石積みの坂を上ると神様との約束を破ってしまった亀が岩にされてしまったと伝えられる亀石と風穴があります。風穴は、近年は風の出が悪くなっていますが、いつもわずかな風が吹き出していた岩穴です。風を不思議に思った人が中を覗くと石の観音様が微笑んでいたと伝えられています。そのすぐ上には、登山道と同様に山神社が祀られています。