安楽山宮神社とも称される山宮神社は、和銅2年(709年)、御在所岳の山頂に天智天皇を祀って山宮大明神と号し、その廟を山頂に祀ったのが創始と伝えられています。志布志には天智天皇が侍女から二の妃となった玉依姫(薩摩国頴娃の豪族の娘)に心をひかれ晩年を志布志にて過ごされたとの伝説があり、天皇にちなんだ地名事跡が多く残されています。山宮神社もその一つと伝えられ、大同2年(807)には、近隣の山口大明神(大友皇子)、若宮神社(持統天皇)、中宮神社(玉依姫)、鎮母神社(倭姫王)、蒲葵御前社(乙姫)を合祀し山口六社大明神として現在地に祭られたとされています。
御祭神の六柱は、天智天皇の親族6柱で、創建された和銅2年(709)は、天智天皇の第四皇女(阿陪皇女)で持統天皇の異母妹である元明天皇が即位した御代(707-715)でした。
名前 | 在位 | 系譜
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天智天皇 | 668-672 | 中大兄皇子。大化の改新を行い、白村江の戦いの後、近江大津宮に遷宮し第38代天皇として即位。 |
・倭姫王 | 天智天皇の皇后。 |
・玉依姫 | 天智天皇の二の妃で、薩摩国頴娃の豪族の娘。 |
・乙姫 | 天智天皇の皇女で、生母は玉依姫。 |
弘文天皇 | 672 | 天智天皇の皇子(大友皇子)。 |
天武天皇 | 673-686 | 天智天皇の弟、壬申の乱で弘文天皇(大友皇子)を倒して即位。 |
持統天皇 | 690-697 | 天智天皇の皇女で弘文天皇の皇后。 |
文武天皇 | 697-707 | 草壁皇子(弘文天皇と持統天皇の第二皇子)の長男。母は元明天皇(阿陪皇女)。 |
元明天皇 | 707-715 | 天智天皇の第四皇女(阿陪皇女)で持統天皇の異母妹。文武天皇の母。 |
太字が山宮神社の御祭神
安和元年(966)には神領500町歩の寄進があり、最盛期には「御祭百弐拾四度」と記されています。神鏡が御神体で、奉納された多数の懸け仏から、少なくとも鎌倉時代にはすでにこの地方の尊崇を集めていたとされています。その後、新納、肝付、島津氏などの武将により社領の寄進、社殿の造営修築が行われ、享保19年(1731)には正一位の宣旨を受けています。藩政時代には48種の祭事が斎行されたといい、舞殿・観音堂・参籠所・御供所・鐘楼などの建物が付随し、大隅随一の規模とされました。明治2年(1869)の廃仏毀釈以降、現社号に改称されました。
なお、鐘楼は文永6年(1269)の年号が刻まれ、讃岐国より搬入された名鐘でしたが、西南の役に供出され、今は遺されていません。
社殿の左右には随神殿が鎮座しており、神殿の中には江戸時代に作られた随神の姿をした神様が祀られています。社殿向かって右手の天満神社は菅原道真を祀っています。
境内には御神木として、天智天皇の御手植と言われる国指定天然記念物「大クス」が聳えています。高さ23.6m、幹周17.1m、根廻り32.3m、推定樹齢は約1300年とされ、樹形正しく樹勢盛んなことから、日本一枝ぶりが美しいと称されています。国指定天然記念物に指定されています。植物学上の貴重な標本として、昭和16年(1941)11月13日に国の天然記念物に指定されました。幹内部は大きな空洞で大人が10人以上入れる広さとなっています。
元々は、現在残されている「大クス」と対になる形で境内南側にも大クスが聳えていましたが、明治26年(1893)枯死し、その跡地は霊域とされています。枯死した大クスの根株からは、石室が発見され、中世期の鏡、刀、蔵骨器と多くの副葬品が発掘されました。その中に天皇の御骨灰と称されるものも出土し、御宝物として大事に安置されています。
宝物として、平安時代末期(1100年頃)藤原時代の和鏡「銅鏡唐草鴛鴦文様一面」が、大正7年(1918)4月8日に国指定重要文化財の指定を受けています。日本の鋳鏡は平安時代になり唐との交流が中断してからは、次第に優雅な純日本風の図柄を示すようになり、やがて鎌倉時代にかけて草花に飛鳥を配した絵画的な作品を残し、鋳鏡技術の頂点を極めました。国の重要文化財に指定されているこの銅鏡は、直径24.4cmの中型で、和鏡の頂点を示す作品と見られているものです。外区に雲形と花を描き内区に唐草群と二羽の鴛鴦を配した文様は極細彫りで、日本的な簡潔さの中に優麗典雅な趣を持った名品とされています。
また山宮神社にはこの他にも、平安時代から江戸時代にかけての和鏡21面、中国の唐・宋・元・明代の鏡18面、朝鮮鏡4面、懸鏡(神仏習合により御正体として、鏡の表面に神像や仏像を線刻したり半肉彫りの鋳造を取りつけ、社寺に奉納、礼拝した)43面が宝蔵されています。
毎年2月の第2土曜日・日曜日の春祭りは、1.5キロメートル離れた安楽神社と合同で2日間かけて行われ、豊作を祝います。第2土曜日が山宮神社の春祭りで、祭典中に「宮廻り」というお田植え行事を行います。竹串に白紙を挟んだ「稲の穂」を持ち本殿を三度回り模擬田にその穂を差すと、田の神夫婦が来訪し、豊凶を占います。祭りでは、県指定無形文化財に指定されている正月踊も奉納されます。正月踊は、黒の御高祖頭巾に黒紋付、黒の手甲・脚絆に黒の足袋という黒装束に身を固めた地元の青年たちが、腰に手拭いとサルノコ人形を下げて踊られます。正月踊りは現在、「出端・お市御家女・一つとの・帖佐節・爺さん節・塩屋判官・坊様節・五尺・安久節」の9つの踊りが残されています。
その後、神官が大クス跡地の霊域で回りながらハナとタマを供える「タマゲマツリ(玉上げ祭)」が行われ、御輿が猿田彦神の先導で行列を従え安楽神社に御下向されます。翌日曜日に安楽神社で打植祭を行った後、御輿は山宮神社に戻ります。