九州の神社

高千穂神社(高千穂町)

御祭神

一之御殿いちのごてん高千穂皇神たかちほすめがみ
二之御殿にのごてん十社大明神じっしゃだいみょうじん

由緒

高千穂神社たかちほじんじゃは、 この地に宮居みやいをさだめられた天孫てんそん瓊々杵尊ににぎのみこと木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと以下三代の神々をお祀りし、飛鳥時代から平安時代前期にかけて編纂された六国史りっこくしに「高智保皇神たかちほすめがみ」の神名しんめいで記載され、仁明・清和にんみょう・せいわ両朝(833~876)に日向国ひゅうがのくに最高の御神階ごしんかいが授けられた国史見在社こくしけんざいしゃです。天孫降臨てんそんこうりん神武天皇じんむてんのうゆかりの高千穂宮たかちほのみやとして、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。

御祭神の高千穂皇神たかちほすめがみは、日向三代ひむかさんだいと称される皇祖神こうそしんとその配偶神はいぐうしんである天津彦火瓊瓊杵尊あまつひこほににぎのみこと木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと彦火火出見尊ひこほほでみのみこと豊玉姫命とよたまひめのみこと彦波瀲武鸕草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと玉依姫命たまよりひめのみことの総称です。十社大明神じっしゃだいみょうじん神武天皇じんむてんのう皇兄こうけい三毛入野命みけぬのみこととその妻子神さいしがみ九柱、三毛入野命みけぬのみこと妃神きさきがみ鵜目姫命うのめひめのみこと御子神みこがみ御子太郎命みこたろうのみこと二郎命じろうのみこと三郎命さぶろうのみこと畝見命うねみのみこと照野命てるののみこと大戸命おおとのみこと霊社命れいしゃのみこと浅良部命あさらべのみことの総称です。

創建は不詳ですが、神武天皇じんむてんのう兄宮あにみや三毛入野命みけぬのみこと御東征ごとうせいの途次、高千穂に帰られて日向三代ひむかさんだいをお祀りされたのが初めとされています。以降、その子孫と称する三田井氏みたいしが長く 奉仕され、後には三毛入野命みけぬのみこと御夫婦と八柱の御子とを合祀し、垂仁天皇すいいにんてんのう(前29-70)の時代に社殿が建立されたとされています。

天慶てんぎょう年間(938-947)には豊後国ぶんごのくにから来た大神氏おおみわし豊後国ぶんごのくにから大神惟基おおみわのこれもとの長子の高知尾太郎政次たかちほたろうまさつぐが当地に入り、高知尾氏たかちほしを興します。鎌倉時代末から高知尾氏たかちほしに代わり島津氏しまづし地頭じとうとなる一方、高知尾氏たかちほし三田井氏みたいしを称するようになりますが、天正てんしょう年間(1573-1592)に三田井氏みたいしは滅んで延岡藩のべおかはん領となりましたが、歴代藩主は社領を寄進し例祭にはたえず奉幣ほうへいして明治に及びました。

古くより高千穂八十八社たかちほはちじゅうはっしゃ総社そうじゃとして崇められてきたことから、社名は古来「十社大明神じっしゃだいみょうじん」や「十社宮じっしゃぐう」などと称されてきました。明治4年(1895)に「三田井神社みたいじんじゃ」と改称、更に同28年(1895)に現在の高千穂神社たかちほじんじゃに改称されました。明治4年(1895)7月に延岡県のべおかけん県社けんしゃ、11月に美々津県みみつけん県社けんしゃとされましたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされます。大正14年の秩父宮殿下ちちぶのみやでんか御成おなりをはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和46年7月1日、神社本庁の別表神社べっぴょうじんじゃとなっています。

中世、鎌倉幕府の源頼朝みなもとのよりともは、当社を篤く信仰し、畠山重忠はたけやましげただを代参として多くの 宝物を奉納しました。社殿前に御神木としてそびえる畠山重忠はたけやましげただ公手植の杉は秩父杉ちちぶすぎなづけて今なお社頭しゃとうに高くそびえ、千古の歴史を伝えています。樹勢は、目通りが30尺(9メートル)、高さは180尺(55メートル)、樹齢約800年になります。尚、源頼朝みなもとのよりとも公寄進の社宝鉄製の狛犬一対は世に優れたる鎌倉時代の名作として国の重要文化財に指定されています。元寇の文永の役ぶんえいのえき弘安の役こうあんのえきには勅使ちょくしが見え、南北朝の頃には征西将軍せいぜいしょうぐん懐良親王かねよししんのうの御祈願など、古記録や宝物も多数残っています。

社殿は、安永あんえい7年(1778)、延岡藩主の内藤政脩ないとうまさのぶにより立替えられたものです。拝殿は、唐破風千鳥破風付からはふちどりはふつき。本殿は、切妻平入きりづまひらいり千木外削ちぎそとそぎで、鰹木かつおぎ9本。九州南部を代表する大規模な五間社流造銅板葺ごけんしゃながれづくりどうばんぶきの建築で地方色も顕著に有しています。平成16年(2004)7月6日には国指定重要文化財に指定されています。本殿の東側脇障子わきしょうじの彫像は、当宮の御祭神、三毛入野命みけぬのみこと霜宮鬼八荒神しもみやきはちあらがみの足を捕まえて退治されたものです。荒神あらがみどもを平らげ農業や産業の道を拓かれた三毛入野命みけぬのみことは、厄祓いや産業農業の神としても深い信仰があり、鬼八きはち退治にちなんだ「猪懸祭ししかけまつり」は12月3日に行われ、神道祭祀の原形をとどめた故事として有名です。鬼八塚きはちづかは町内に三ヶ所あり、そのなかの首塚くびづかは現在の旧ホテル神州の東北にあります。また、西側脇障子わきしょうじには、事勝国勝長狭神ことかつくにかつながさのかみ大年神おおとしがみを祀る稲荷社いなりしゃが鎮座しています。

本殿東側に祀られている鎮石しづめいしは、第11代垂仁天皇すいにんてんのう勅命ちょくめいにより我が国で初めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際、用いられた鎮石しづめいしと伝えられています。尚、往古、関東に鹿島神宮を御社殿造営の際、高千穂宮より鎮石が贈られ、同宮神域に要石として現存しています。またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。

本殿向かって左側には荒立神社あらだてじんじゃ四皇子社しおうじしゃが鎮座しています。荒立神社あらだてじんじゃは、猿田彦大神さるたひこのおおかみ天鈿女命あめのうづめのみこと夫婦神めおとがみ四皇子社しおうじしゃは、神武天皇じんむてんのう五瀬命いつせのみこと稲氷命いなひのみこと三毛入野命みけぬのみことを祀っています。拝殿前の夫婦杉めおとすぎは、根元がひとつになって如何なる事があっても別れることのない形を現しています。夫婦杉めおとすぎの廻りを手をつないで三回廻ると、夫婦、友人など共々、仲睦まじく家内安全で子孫は繁栄の三つの願いが叶うと伝わっています。

高千穂たかちほ、そしてその総社そうじゃとしての高千穂神社たかちほじんじゃを広く知らしめているのが国の重要無形民俗文化財に指定されている夜神楽よかぐらです。高千穂たかちほでは11月中旬から翌年の2月まで各神楽宿かぐらやどにて夜神楽よかぐらが催行されます。夜神楽よかぐらは、氏神うじがみ神楽宿かぐらやどに招き入れる「舞入れまいいれ」から始まり、33番の神楽かぐらを舞います。高千穂神社たかちほじんじゃでは、11月22~23日にかけての「神話の高千穂夜神楽たかちほよかぐらまつり」で奉納ほうのうされ、神楽殿かぐらでんで夜を徹して高千穂たかちほ夜神楽よかぐらの全33番が奉納されています。又、年間を通じて観光用に33番の中から「手力雄たぢからお」・「鈿女うずめ」・「戸取ととり」・「御神体ごしんたい」の4番が神楽殿かぐらでんで実演されています。

旧暦の12月3日に行われる猪々掛祭ししかけまつりは、鎌倉時代から伝わる霜除神事しもよけしんじで、この祭典で奉納される神楽は「笹振り神楽ささふりかぐら」といわれて高千穂神楽の原型とされています。神代かみよの昔、荒振あらぶる神の鬼八きはち十社大明神じっしゃだいみょうじんが退治しますが、鬼八きはちの霊は何度も生き返り、早霜を降らせて作物を害します。そのため、鬼八きはちの好物である猪1頭を神前に捧げて鬼八きはちの霊を慰め、五穀の豊穣を祈ったとされています。この祭りで炊いて供える新穀の器は、天正てんしょう年間のもので、この猪々掛祭ししかけまつりのみに使用される木のおわんです。

一口メモ

社殿向かって左に御神木として高野槇が植えられています。この高野槇は、平成22年(2010)8月3日、秋篠宮殿下と秋篠宮妃紀子殿下と佳子内親王が高千穂神社を御訪問されたときのものです。実は高野槙は、悠仁親王殿下のお印の高野槙です。植樹に際して苗樹は、ギリギリまで見つからず、やっと見つかったのが、たまたま高野槙だったそうです。

Photo・写真

銅鳥居 参道 手水舎 社殿 社殿 拝殿 拝殿 拝殿 本殿 本殿 三毛入野命の鬼八退治 西側脇障子の稲荷社 荒立神社・四皇子社 高野槙 夜神楽 夜神楽 夜神楽 夜神楽 夜神楽 夜神楽:手力雄

情報

住所〒882-1101
宮崎県西臼杵郡にしうすきぐん高千穂町たかちほちょう三田井みたい1037
創始そうし不明ですが、社殿の創建は垂仁天皇すいにんてんのう(前29-70)の御代
社格しゃかく国史見在社こくしげんざいしゃ六国史りっこくし
県社けんしゃ( 明治4年 )
村社(明治6年)
別表神社べっぴょうじんじゃ(昭和46年)
例祭4月16日
神事しんじ猪々掛祭 ししかけまつり(旧暦12月3日)
神話の高千穂夜神楽まつり (11月22~23日)
関連 槵觸神社
天真名井 [槵觸神社・境内地]

地図・マップ