九州の神社

宮﨑県・宮浦神社(日南市)

由緒

御祭神ごさいじん 玉依姫命たまよりひめのみこと

由緒

鵜戸神宮うどじんぐうの北北西約3kmに鎮座ちんざする宮浦神社みやうらじんじゃは、鸕鷀草葺不合尊うがやふきあわせずのみこと后神きさきがみ神武天皇じんむてんのうの母神である玉依姫命たまよりひめのみこと御祭神ごさいじんとしています。創建は不詳ふしょうですが、社伝によると、玉依姫命たまよりひめのみことの御住居の跡に社殿しゃでんを立てたとあり、延暦えんりゃく年間(782-806)に再興したと伝えられています。

永禄えいろく3年(1560)に日向伊東氏ひゅうがいとうし11代当主の伊東義祐いとうよしすけ社殿しゃでんを造営。爾来、伊東家いとうけにおいて社殿しゃでんの改築、社領しゃりょうの寄進等が行われ、奉祀ほうしは頗る厚いものがあり、永禄えいろく5年(1562)当地を訪れた伊東義祐いとうよしすけが翁に話を聞いて詠んだ歌「里人に問はずいざや白波の 玉依姫たまよりひめの宮の浦とは」が『飫肥紀行おびきこう』に残されています。

寛永かんえい3年(1626)に第2代飫肥藩おびはん藩主の伊東祐慶いとうすけのりが再興。文化9年(1812)3月に飫肥藩おびはん第11代藩主の伊東祐民いとうすけたみが、本殿ほんでんならびに拝殿はいでんの総修繕をしました。藩政中は社録しゃろく5石を寄進され、玉依姫大明神たまよりひめだいみょうじんと称しました。また、中古以来、鵜戸神宮うどじんぐう別当寺べっとうじ鵜戸山うどさん仁王護国寺におうごこくじ末寺まつじである弥勤院みろくいんが置かれ、当社と玉依姫御陵たまよりひめごりょう伝説地を管理してきましたが、後に弥勤院みろくいん仁王護国寺内におうごこくじない脇寺わきでらとなりました。

明治維新に際して玉依姫神社たまよりひめじんじゃと改称。一度鵜戸神宮うどじんぐう合祀ごうしされますが、明治7年(1874)に復社して現社名の宮浦神社みやうらじんじゃになり、社殿しゃでんの改造も行われました。明治40年(1907)2月に神饌しんせん幣帛料へいはくりょう供進神社きょうしんじんじゃに指定されました。古来から安産祈願に参詣するものが多く、とくに毎月午の日に参るのが古い慣わしとなっています。流造ながれづくり本殿ほんでんは6坪。切妻造きりづまづくり拝殿はいでんは10.5坪です。

本殿ほんでんの向かって右手には、玉依姫命たまよりひめのみことの第一皇子である五瀬命いつせのみことと第二皇子の稲飯命いないのみことが祀られています。社殿しゃでん前のやしろは、馬頭観音ばとうかんのんを祀っています。『神社明細帳じんじゃめいさいちょう』では境内末社けいだいまっしゃに、由緒不詳ふしょうですが稲水氷命いないのみこと稲飯命いないのみこと)を祭神さいじんとして祀っているとあります。

川沿い南へ約800mほどの地に、玉依姫命たまよりひめのみことみささぎと伝えられる古墳が、昭和15年(1940)の皇紀こうき2600年祭を機に再興され、鎮斎ちんさいされています。高さ7.9m(二丈六尺)、周囲110m(一町余)、上の平坦部分は11m程(平坦方六間)。前方後円の前方がやや崩れた形で残っています。その地に生ずる草木を牛馬に食べさせるとたちまち腹痛を起こすとして土地の人は畏れて敢えて近づかないとされています。

Photo・写真

  • 境内入り口
  • 鳥居前
  • 鳥居前
  • 社殿
  • 社殿
  • 拝殿
  • 拝殿
  • 五瀬命・稲飯命
  • 馬頭観音
  • 玉依姫命陵
  • 玉依姫命陵
  • 玉依姫命陵
  • 玉依姫命陵
  • 玉依姫命陵
  • 玉依姫命陵

情報

住所 〒887-0101
日南市にちなんし宮浦みやうら688
創始そうし不詳ふしょう
社格しゃかく村社そんしゃ [旧社格きゅうしゃかく]
例祭れいさい旧暦9月10日
HP 宮崎県神道青年会

地図・マップ