霞権現とも称される霞神社は、古来から、農業、畜産、疾病、縁結び、開運、商売繁盛の神とされ、神殿裏の岩窟に住む白蛇様を拝すると幸運に恵まれるとされています。
御祭神は大己貴命、少彦名命、保食命の三柱。創建は不承ですが、往古から、山岳信仰の一大中心地として、神仏混淆の修験道と深く関わりを有し、その名残が「霞権現」の名前や、石碑などにその痕跡をとどめるとされています。
神仏混淆の修験道は7世紀頃に始まっており、天慶~天暦年間(938-957)に霧島連山を開山した性空上人により、山岳信仰の一大中心地となりました。その後、霧島六所権現と云われる諸社が形成され、霞神社もその一郭に修験者の縄張りとして修験者達の行動域に組み入れられ、本地し馬頭観音とされました。因みに“霞”とは修験道の用語として“縄張り”を意味するとされています。
鎮座地の山頂東面、御神殿裏に岩山があり、その岩の割れ目には時として体長30cm程度の小さな蛇(敬称:白蛇様)の姿を見ることができ、その白蛇様は霧島六所権現の使神とされ、霞神社の御祭神とは別に神様と崇めて祠廟(奥の院)が設けられています。この白蛇様を拝した者は、神縁を得て幸福になるとされ、かつて六所権現参りを行う修験者は、必ず霞権現に参拝し、当所に詣でて白蛇様の棲息する山頂の岩座を依代として、修行の無事と世の安泰を祈願したと伝えられています。
白蛇様は、青大将の白化したものとは全く異なります。いくつもの体色を保護色として有しつつ、岩肌の白色に反応し、白い姿を我々の前に現すことがあることから「五色の蛇」とも称され神格化されてきました。天保14年(1843)に刊行された文献『三国名勝図会』でも、図入りで紹介されています。
霊験著しく島津家の信仰厚く、文化12年(1815)第25代薩摩藩主・島津重豪の御取立てにより霞権現社が建立されます。狭野の神徳院を別当寺とし、当初の神事は花尾神社の大宮司に命じて、祭祀を管轄されました。境内にはその建立時の文化12年(1815)の年号が刻まれた石灯籠など数基が奉納されています。
『三国名勝図会』巻之五十六
入来村、霞岡にあり。祭神詳ならず。本地馬頭観音なりといふ。岡阜南面の石巌に縫隙あり。五色の蛇ありて、巌隙に栖む。是を神と崇めて、別に祠廟を設けず。是霧島六所権現の使神なりといへり。故に六所権現へ参詣する者は、必ず茲に参詣せり。参詣の者、彼蛇を見る時は、神縁を得るとて、殊に歓喜すとかや。祭祀三月十五日、九月十五日、祭式には、白砂を供す。文化十二年、大信公、神事を新修して、神徳院別当とし、郡山邑、花尾大権現社の大宮司に命じて、祭祀を管轄せしむ。
昭和6年(1931)7月22日に高原町後川内に鎮座する三社が合祀されました。
- 佐衛神社:風の神様として志那津彦命、志那津姫命を祀る。
- 山神社:山の神様として大山祇命を祀る。
- 猿田彦神社:先導の神様として猿田彦命を祀る。
【境内社など】
「神蛇祠(奥の院)」
本殿の奥、展望台に鎮座。体長30cmほどの白蛇様が御神殿裏の岩山の中に棲息し、今日でも神縁を得ようと岩の隙間に目をやる参詣者の姿を多く見掛けます。
「馬頭観音・豊受神社」
牛・馬・家畜の神様である馬頭観音は、六観音のひとつで牛や馬の安全と成長を守る神様です。伝説上の宝馬が勢いよく草を食べ一切の障害を乗り越え、様々な悪を食い尽くし、願いごとの全てが成就したところに由来すると言われています。豊受神社は、農業の神として祀られています。
「地蔵尊」
子供、子授け、安産の神様として祀られています。
「門守神社」
社域を護持する櫛石窓神、豊石窓神を祀っています。