九州の神社

宮崎県・江田神社(宮崎市)

御祭神

御祭神ごさいじん伊邪那岐尊いざなぎのみこと伊邪那美尊いざなみのみこと ※伊邪那美尊いざなみのみこと寿永じゅえい2年(1183)正月に配祀はいし

由緒

江田神社えだじんじゃは、太古たいこ創建そうけんで、創立そうりつの年代は不詳ですが、伊邪那岐尊いざなぎのみことみそはらいし霊跡れいせきと伝えられ、その縁起えんぎの最も深きやしろです。

神代かみよの昔、伊邪那岐尊いざなぎのみことは、その妻の伊邪那美尊いざなみのみことがお亡くなりになったのを嘆かれ、その後を慕ってお入になった黄泉国よみのくにから逃げ戻り「筑築つくし日向ひむかたちばな小戸おど阿波岐原あわぎはら」に下られて御身おんみけがれをみそはらい、きよめられます。その際、御降誕ごこうたんあらせられたのが天照皇大神あまてらすすめおおかみ月讀尊つくよみのみこと素佐嗚尊すさのおのみこと住吉三神すみよしさんじんなどの神々です。

そのみそはらいの地は、かみ瀬速せはやし、しも瀬弱せよわしとされ、なかみそはらいされたと伝えられています。そのなかは、本社の500mほど北東にある「みそぎ池」とされています。

後、入江を開墾して江田えたと称して創建そうけんされたと考えられています。平安時代中期に作られた「和名類聚抄わみょうるいじゅしょう」の「宮崎郡条みやざきぐんのくだり」に見える江田郷えたごう鎮座ちんざの記録が残っており、「続日本後紀ぞくにほんこうき」の承和じょうわ4年(837)8月1日くだりでは、「日向國ひむかのくに児湯郡こゆぐん都濃神つののかみ都農神社つのじんじゃ妻神つまのかみ都萬神社つまじんじゃ宮崎郡みやざきぐんの江田神えたのかみ江田神社えだじんじゃ諸縣郡もろかたぐん霧嶋岑神きりしまみねのかみ霧島神社きりしまじんじゃならびて官社かんしゃあずかる」とあり、官社かんしゃれっしたことが記されています。仁寿にんじゅ元年(851)10月に従四位じゅしいを授けられ、貞観じょうがん元年(859)には従四位じゅしいじょうに進められます。その後、天禄てんろく元年(970)までに天変地妖てんぺんちよう兵革へいかく等の年毎としごと叙位じょい8回に及び、神階しんかいは最高位の正一位しょういちい昇階しょうかくします。醍醐天皇だいごてんのう御代みよ延長えんちょう5年(927)に編纂へんさんされた「延喜式えんぎしき神名帳じんみょうちょう」にて「日向国ひゅうがのくに式内社しきないしゃ四座よんざ」の一社いっしゃとして登載とうさいされ、祈年きねん新嘗にいなめ奉幣ほうへいを受けました。寿永じゅえい2年(1183)正月に伊邪那美尊いざなみのみこと配祀はいしし、産母やぼ二柱ふたはしら大明神だいみょうじんと称し、里人からは産母やぼ様として親しまれ、社領しゃりょう30余町を有していました。日向国ひむかのくにを代表する神社として社勢しゃせいを誇りました。

『延喜式神名帳』延長5年(927)編纂

西海道神一百七座[大卅八座・小六十九座]。

…(略)…。日向國四座[並小]。兒湯郡二座[並小]。都農神社、都萬神社。宮崎郡一座[小]。江田神社。諸縣郡一座[小]。霧嶋神社。

寛文かんぶん2年(1662)の外所地震とんところじしんの大津波により社宝しゃほう文書もんじょ社殿しゃでんを喪失し、産土神うぶすながみとして奉斎ほうさいされます。被災後の延宝えんぽう3年(1675)9月16日に参詣さんけいした神道家しんとうか橘三喜たちばなみつよしの「諸国一宮しょこくいちのみや巡詣記じゅんけいき」では「江田えた御社おやしろに参りそれよりあわぎはら住吉すみよしもうでて、尋ね来て聞けば心も住吉すみよしの松はあわぎはらの松原。この海辺に伊弉諾命いざなぎのみことそぎたまう上・中・下の三つの瀬ありと伝えし云々」とあります。その縁起えんぎの中に「御社おやしろより二十余町の沖にかみがあるといっている。そしてそこには石の華表かひょうがあるという。それより南方に中津瀬なかつせがあり、ここに伊邪那岐尊いざなぎのみこと伊邪那美尊いざなみのみこと二柱ふたはしらまつやしろがある。それより南にしもがあり小戸大明神おどだいみょうじんの神社がある。」と書かれており、このかみの神社は住吉神社すみよしじんじゃなかの神社が当社、江田神社えだじんじゃしもの神社は小戸神社おどじんじゃとなります。

この縁起えんぎの中で沖にあるとされる住吉神社すみよしじんじゃは、もともと檍村あおきむら大字おおあざ吉村よしむら下別府しもべっぷという地に鎮座ちんざしていましたが寛文かんぶん2年(1662)の外所地震とんところじしんで海中に没してしまっていたことがわかります。また、下津瀬しもつせは今の吉村よしむら地区にあたり、小戸神社おどじんじゃも被災を受け現在地に遷座せんざしています。そのことから「筑築つくし日向ひむか小戸おど阿波岐原あわぎはら」というのは住吉神社すみよしじんじゃから大淀川おおよどがわ河口(吉村よしむら地区)までの地であるとされています。

明治6年(1873)5月25日には県社けんしゃに列し、同40年(1907)2月9日神饌しんせん幣帛料へいはくりょう供進きょうしんを指定され今日に至っています。

本殿ほんでんは、ながづくり。拝殿はいでんは、共に入母屋造いりもやづくりです。

Photo・写真

一の鳥居 一の鳥居から二の鳥居への参道 二の鳥居 境内 社殿前 社殿前 社殿前 拝殿 拝殿 本殿 みそぎ池 みそぎ池

情報

住所〒880-0835
宮崎県宮崎市阿波岐原あわぎはら産母やぼ127
創祀不詳
社格しゃかく県社けんしゃ [旧社格]
例祭11月22日

地図・マップ