湯布院盆地の東南に位置する宇奈岐日女神社は、『続日本後紀』の嘉祥2年(849)の条に由緒を遡る式内小社です。
嘉祥2年(849)の『続日本後紀』では従五位下。元慶7年(883)の『日本三代実録』では正五位下に昇叙され、延長5年(927)『延喜式神名帳』では式内小社に列記されました。
『続日本後紀』卷十九
嘉祥二年(849)六月癸未朔。…(略)…。奉授豐後國宇奈岐比咩神。火男火咩神並從五位下。
『日本三代實録』卷四十四
卷元慶七年(883)九月二日乙丑。…(略)…。授豐後國從五位上建雄霜起神、早吸咩神、宇奈支比咩神、並正五位下。
『延喜式神名帳』延長5年(927)編纂
豐後國六座。[大一座・小五座]。直入郡一座[小]、建男霜凝日子神社。大分郡一座[大]、西寒多神社。速見郡三座[並小]、宇奈岐日女神社、火男火賣神社、二座。海部郡一座[小]、早吸日女神社。
創祀は不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様、木綿大明神と称されました。
当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神で、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。
伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。
そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。
明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼りとした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。
【境内社など】
厳島社
社殿向かって右手に鎮座。市杵嶋姫命を祀っています。
政正社
社殿向かって左手に鎮座。菅原道真公、天津児屋根命、天津児屋根命を祀っています。
御年社
神門から社殿の参道右手に鎮座。御年神を祀っています。
大杵社
境内から南西800m程の境外末社。樹齢1,000年以上、樹高mの杉の大木で知られています。昭和9年(1934)8月9日に国天然記念物に指定された大杉があります。
蹴裂権現社
蹴裂伝説の蹴裂権現(道臣命)を祀っています。由布院盆地を開拓した恩人と称えられています。