九州の神社

健男霜凝日子神社・神幸所(竹田市)

御祭神

御祭神ごさいじん 健男霜凝日子神たけおしもこりひこのかみ
配祀神はいしがみ 豊玉姫命とよたまひめのみこと比咩神ひめのかみ)、彦五瀬命ひこいつせのみこと大太夫夫婦だいだゆうふうふ華御本姫はなのおもとひめ
合祀神ごうしがみ 大山祇尊おおやまつみのみこと奥津彦尊おきつひこのみこと奥津姫命おきつひめのみこと少彦名尊すくなひこなのみこと猿田彦命さるたひこのみこと菅原道眞すがわらみちざね木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと大巳貴尊おおなむちのみこと面足尊おもだるのみこと惶根尊かしこねのみこと

由緒

祖母山山頂そぼさんさんちょう上宮じょうぐう祖母山そぼさん北麓ほくろく下宮げくう神幸所みゆきしょ遙拝所ようはいじょ)、及び穴森神社あなもりじんじゃからなる健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃは、延長えんちょう5年(927)編纂へんさんの『延喜式えんぎしき』にて豊後国ぶんごのくに式内小社しきないしょうしゃとして記載きさいされた健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ論社ろんしゃです。

『延喜式』巻十 神祇下 ※通称『延喜式神名帳』 延長5年(927)編纂

西海道神一百七座[大卅八座・小六十九座]。…(略)…。豐後國六座[大一座・小五座]。直入郡一座[小]。建男霜凝日子神社。大分郡一座[大]。西寒多神社。速見郡三座[並小]。宇奈岐日女神社、火男火賣神社二座。海部郡一座[小]。早吸日女神社。

神原川こうばるがわに架る「やま神橋かみはし」の側にある神幸所みゆきしょは、昭和9年(1934)に国幣小社こくへいしょうしゃへの昇格しょうかくを目指して、昭和8年(1933)に遥拝所ようはいじょとして建立こんりゅうされた社殿しゃでんです。残念ながら昇格しょうかくを果たすことはできませんでしたが、以降は遥拝所ようはいじょ、及び神幸所みゆきしょとして神事しんじ祭事さいじの中心になっています。


神事しんじ祭事さいじ

9月23日に秋祭り(例大祭れいたいさい)が健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ穴森神社あなもりじんじゃと合同で斎行さいこうされます。白熊はぐま獅子しし神輿みこしのおともをし、神幸所みゆきしょ遙拝所ようはいじょ)で盛大に祭典さいてんを行います。健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ御祭神ごさいじん祖母山そぼさんの神)が変化したのが、穴森神社あなもりじんじゃの伝説で伝えられる大蛇おおへびであるとされているため、御神輿おみこし獅子ししの順序は、健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃが先となっています。昔は、23~24日の2日間の祭典さいてんで、御神体ごしんたいは、神幸所みゆきしょに一泊していました。5月2日には、「風祭かぜまつり・祖母山そぼさん祭り」が斎行さいこうされます。元は、旧暦7月4日に夏祭りとして行われていましたが、祖母山そぼさん山開やまびらきを兼ねて行われています。


境内社けいだいしゃなど】

御神木ごしんぼく(トチノキ)」

参道さんどうの左手。胸高直径きょうこうちょっけい7.2m、樹高42m、樹齢550年とも言われています。周辺に自生樹が確認されないことから植栽しょくさいされたものと考えられています。昭和35年(1960)3月22日に県天然記念物に指定。

忠魂碑ちゅうこんひ

御神木ごしんぼくの隣りに鎮座ちんざ日露戦争にちろせんそうの後、明治40年(1907)に建立こんりゅう

健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ下宮げくう

当地から西400ほどの山稜さんりょう中腹ちゅうふく鎮座ちんざ。約240段の石段を登った岩窟内がんくつない鎮座ちんざしています。(⇒詳細)

穴森神社あなもりじんじゃ

当社から南東1.5kmに鎮座ちんざ。『平家物語へいけものがたり』にて語られる大蛇おおへび華御本姫はなのおもとひめとの神婚しんこん緒環伝説おだまきでんせつ」の舞台です。その末裔まつえい岡城築城主おかじょうちくじょうしゅ緒方惟栄おがたこれよしとされています。(⇒詳細)

Photo・写真

  • 神原川側から境内
  • 神原川側から境内
  • 境内入り口
  • 一之鳥居
  • 一之鳥居
  • 二之鳥居と社殿
  • 社殿
  • 本殿
  • 御神木(トチノキ)
  • 忠魂碑

情報

住所〒878-0574
竹田市たけたし神原こうばる1765
創始そうし昭和8年(1933)
社格しゃかく健男霜凝日子神社たけおしもこりひこじんじゃ神幸所みゆきしょ
例祭れいさい9月23日
神事しんじ5月2日(祖母山そぼさん祭り)
関連 健男霜凝日子神社・下宮
穴森神社
HP Wikipedia

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