矢村社、又は矢村大明神と称されていた高森阿蘇神社は、主祭神として阿蘇十二神の[一宮]健磐龍命と[二宮]阿蘇都比咩命の二柱の大神を木像(大)で祀っています。また、相殿神として[三宮]国龍命を始めとする阿蘇十二神と諸々の大神の19座を木像と石像(中小)で祀っています。元々は、神社後方の宮山の中腹に鎮座し、400年前に現在地に奉遷されました。
創始は、阿蘇を開拓したとされる健磐龍命による阿蘇神話に遡ります。御祭神の健磐龍命が、阿蘇国に降りられ、湖水だった火口湖を乾かし、国土開発して宮居を定めんと阿蘇山上に登り、南北に向かって卜矢を放ちます。その一矢は、総本社の阿蘇神社の鎮座地(阿蘇市一の宮町宮地)に落ち、もう一矢は阿蘇山の南の大石に当り、1寸余の鏃の跡を残します。その大石が、境内から北東300mに奉斎されている「御矢石」とされ、一社を建て、神矢を納めて矢村社と称したとされています。時を経て、その矢は朽ち果てたことから、新たに神像を奉安して、三神を鎮祭したと伝えられています。
現在の社名は、明治以降のものです。境内には、1500年代初期に植えられた、20本のメアサ杉と6本の南郷檜の母樹である御神木がひときわ目を引いて立ち並んでいます。南郷檜は、昭和31年(1956)九州大学教授の佐藤敬二、宮島寛により命名され、林業関係者に広く知られています。安政2年(1862)には、細川藩主の帆船「泰宝丸」の帆柱として当社の南郷檜が使われ、比類なき良材として白銀3枚が奉納されています。旧宮地の宮山の中腹には、樹齢400年を超える豊年桜もあります。豊年桜は、南郷谷では一番早く咲く桜として知られるエドヒガン桜です。花の咲き具合で、農作物の出来を占ったとされています。社殿向かって左手には天照皇大神宮が祀られています。
例祭は7月30日で、神事のあと、2基の神輿を中心に神幸行列が斎行されます。また、8月17-18日に斎行される風鎮祭は、風を鎮め、五穀豊穣を願う神事として300年もの伝統を持っています。