岩戸熊野座神社は、平成27年3月、人吉球磨初の国指定名勝に指定された神瀬(岩戸)鍾乳洞内に鎮座しています。御祭神は、伊邪那美命、速玉男命、泉津事解男命の三柱です。伊邪那美命は、伊邪那岐命と夫婦となって国や生き物、植物等、この世のあらゆる物、森羅万象を産み出しました。最後に火の神の軻遇突智を産んだ時の火傷が原因で命を落とし、黄泉の国に入ったとされています。岩戸熊野坐神社全体は、黄泉の国ともされていることから、夫婦和合と縁結び、安産と「よみがえり(黄泉帰り・甦り・蘇り)」の御神徳があるとされています。
その昔、厳竜寺がありましたが断滅され、天正6年(1578)に緒方対馬が初めて社檀を造営しました。江戸時代に、熊本藩内の景勝地を描いた「領内名勝図鑑」にも登場しており、鍾乳洞は大正15年(1926)に熊本県の天然記念物の指定を受け、平成27年3月には人吉球磨地域で初の国指定名勝に指定されました。
中世期初期の石灰岩でできた洞窟は、無数の鍾乳石が天井から垂下して奇観をなしています。高さ8間(約18m)、奥行き約40間(約72m)、その奥に直径20間(約36m)、深さ20間(約36m)の池がある大洞窟です。以前は、展望所より暗闇の中に池もかすかに見えていましたが、崩壊のため現在は進入禁止となっています。尚、洞内には一足鳥と称せられる岩燕が年中、群れをなして巣を作って棲息しています。
元の拝殿は、本殿下の踊り場の高さに作られており、参拝者は座って参拝していました。古より、梅雨・洪水時期は、本殿奥の池の水が溢れて拝殿が水に浸かる事が度々ありました。氏子崇敬者の寄進によって、約50年毎に拝殿修理が行われていましたが、平成22年3月に耐久性及び、参拝者を神様に近づけて参拝して頂くために、床底をコンクリート敷きとし、現在の拝殿になりました。
古より地区の人々は「岩戸さん」と言って崇め、例大祭の時は、地区の大人や子供たちの宮相撲も行われ、屋台もたくさん並び賑わっていました。大晦日から元旦にかけては、拝殿前の広場に地区の人々が大勢集まり、大薪を燃やして年越し祈願をしていました。
洞窟の入口の上方には、大正13年9月に球磨村神瀬の神照寺の13世・哲厳和尚が奉安安置した岩戸不動明王が祀られ、神照寺の奥の院とされています。
洞窟内入口の付近には「長命水」と言われる「清い水」が、地区民はもとより、熊本県内外より多くの人々に親しまれています。