九州の神社

鹿児島神宮(霧島市)

御祭神

御祭神ごさいじん天津日高あまつひだか彦穗穗出見尊ひこほほでみのみこと山幸彦やまさちひこ)、豊玉比賣命とよたまひめのみこと
相殿神あいどのがみ左殿さでん帯中比子尊たらしなかひこのみこと仲哀天皇ちゅうあいてんのう)、息長帯比賣命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう
相殿神あいどのがみ右殿うでん品陀和気尊ほむだわけのみこと応神天皇おうじんてんのう)、中比賣命なかひめのみこと応神皇后おうじんこうごう

由緒

鹿児島神宮かごしまじんぐうは、延長えんちょう5年(927)にまとめられた『延喜式えんぎしき神名帳しんめいちょう』にて「大隅國之おおすみのくにの一宮いちのみや鹿兒嶋神社かごしまじんじゃ」に比定ひていされている古社こしゃです。海幸彦うみさちひこ山幸彦やまさちひこの神話によるところのやしろで、御祭神ごさいじんは、山幸彦やまさちひこ天津日高あまつひだか彦穗穗出見尊ひこほほでみのみこととその妃神きさきがみ豊玉比賣命とよたまひめのみこと創祀そうしは遠く神代かみよ、また神武天皇じんむてんのう御代みよとも伝えられています。朝廷ちょうてい崇敬すうけいあつ大社たいしゃであり、境内けいだいは、御祭神ごさいじん天津日高あまつひだか彦穗穗出見尊ひこほほでみのみこと皇居こうきょである高千穂宮跡たかちほのみやあとと伝えられています。

『延喜式神名帳』延長5年(927)編纂

西海道神一百七座[大卅八座・小六十九座]。

…(略)…。大隅國五座[大一座・小四座]。桑原郡一座[大]。鹿兒島神社[大]。囎唹郡三座[並小]。大穴持神社、宮浦神社、韓國宇豆峯神社。馭謨郡一座[小]。益救神社。

御祭神ごさいじん彦穗穗出見尊ひこほほでみのみことは、開拓かいたく祖神おやがみましましまし、この地に高千穂宮たかちほのみや皇居こうきょ)をいとなみ給い、580歳にわたらせらるる間、農耕畜産漁猟の道を指導し民生安定の基礎をつくり給うた御祭神ごさいじんです。

また、「今昔物語こんじゃくものがたり」の巻12第10話「於石清水いはしみづにして行放生会語はうじやうヱをおこなへること」にて、「はじ大隅おおすみくに八幡大菩薩はちまんだいぼさつあらはれましまして次には宇佐うさみやかえらせたまついに此の石清水いわしみずに跡をましまして」と記されていることから当地に八幡大神やはたのおおかみ顕現けんげんしたとも、承平天慶じょうへいてんぎょうの乱(935-941)の頃に「九州五所別宮きゅうしゅうごしょべつぐう鹿児島神宮かごしまじんぐう大分八幡宮だいぶはちまんぐう千栗八幡宮ちりくはちまんぐう藤崎八幡宮ふじさきはちまんぐう新田神社にったじんじゃ)」の一社いっしゃとされたときに八幡大神やはたのおおかみ合祀ごうししたともされることから、正八幡しょうはちまん国分正八幡こくぶしょうはちまん大隅正八幡おおすみしょうはちまん等とも称され、全国正八幡しょうはちまん本宮ほんぐうでもあります。

営繕えいぜんの費は、大隅國おおすみのくに薩摩國さつまのくに日向国ひゅうがのくに三州さんしゅう正税しょうぜいもってられ、後鳥羽天皇ごとばてんのう建久けんきゅう9年(1198)には車両2500余町歩の多きに至り、江戸末期まで1000石を有していました。明治4年に国幣中社こくへいちゅうしゃ、同7年に神宮号じんぐうごう宣下せんげされ官幣中社かんぺいちゅうしゃ、同28年には官幣大社かんぺいたいしゃに列格されました。昭和10年には昭和天皇しょうわてんのう行幸ぎょうこうを仰ぎ勅使ちょくし皇族こうぞく御参拝ごさんぱいは20余度に及んでいます。

社殿しゃでん桃園天皇ももぞのてんのう宝暦ほうれき6年(1756)島津藩主しまづはんしゅ島津重年しまづ しげとし公の造営ぞうえいによるものです。中央正座ちゅうおうせいざ天津日高あまつひだか彦穗穗出見尊ひこほほでみのみこととその妃神きさきがみ豊玉比賣命とよたまひめのみことまつ鹿児島神宮かごしまじんぐう。その左右が大隅正八幡宮おおすみしょうはちまんぐうとなっており、左殿さでん帯中比子尊たらしなかひこのみこと仲哀天皇ちゅうあいてんのう)と息長帯比賣命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう)、右殿うでん品陀和気尊ほむだわけのみこと応神天皇おうじんてんのう)、中比賣命なかひめのみこと応神皇后おうじんこうごう)を配祀はいししています。県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、平成2年に本殿ほんでん拝殿はいでん勅使殿ちょくしでんは県の有形文化財の指定を受けています。本殿ほんでんの構造は、柱間はしらまが正面7けん、側面4けん入母屋造いりもやづくりで、正面に前室ぜんしつを設けてあります。本殿ほんでんの壁面は、薩摩藩さつまはんの画家、木村探元きむらたんげんの筆になると伝えられています。本殿ほんでんにつながる拝殿はいでんは縦長で、天井の格子こうしには、花や野菜、日本にはなかったサボテンの花、メロン、ケイトウ等が色彩豊かに描かれています。勅使殿ちょくしでん神殿しんでん社殿しゃでんの入口に位置し、天皇から弊帛へいはくを託された勅使ちょくしをお迎えする所として作られています。近年の改修としては平成7年の本殿ほんでん拝殿はいでん勅使殿ちょくしでんの塗装の補修があげられ、拝殿はいでん天井の240余枚の植物が色鮮やかによみがえることとなりました。

神事しんじとしては、旧暦きゅうれき1月18日の次の日曜日に斎行さいこうされる初午祭はつうまさいが広く知られています。起源は不詳ふしょうですが、御祭神ごさいじん天津日高あまつひだか彦穗穗出見尊ひこほほでみのみことが農耕畜産などの産業を奨励された御神恩ごしんおんに感謝して、五穀豊穣ごこくほうじょう厄除招福やくじょしょうふくを祈る特殊とくしゅ祭典さいてんです。神宮じんぐう創建そうけんより行われたと考えられており、養和ようわ元年(1181)神馬しんめを飼育していたと記録が残っています。一説に島津貴久しまづたかひさ公が天文てんぶん12年(1543)に見た霊夢れいむによるとの説もあります。当日は鈴懸馬すずかけうまに仕立てた御神馬ごしんめを先頭に、人馬一体じんばいったいとなって参道さんどうを練り歩き、社殿しゃでん前で神馬しんめとの踊りが奉納ほうのうされ、終日賑わいます。また、2000年を迎えるにあたり、昭和9年を最後に途絶えていた「浜下はまくだり」が平成12年、65振りに復興ふっこうされています。

境内けいだい社には、初午祭はつうまさいの出発地となっている保食神社ほしょくじんじゃ一ノ鳥居いちのとりい前に鎮座ちんざしています。二ノ鳥居にのとりいの前には、向かって右手手前に豊姫命とよひめのみこと磯良命いそらのみこと。奥に武甕槌命たけみかづちのみこと経津主命ふつぬしのみことまつられています。向って左手には、火闌降命ほのすそりのみこと大隈命おおすみのみことまつられています。参道さんどうを進むと、右手に初午祭はつうまさい神馬像しんめぞう奉納ほうのうされた神馬舎しんめしゃ。そして宮橋みやばしを過ぎると両脇を御門神社みかどじんじゃが神社の守りを固めています。向って右手は豊磐窓命とよいわまどのみこと、左手は櫛磐窓命くしいわまどのみことまつられています。

参道さんどうの階段を登って半ばに、豊玉比賣命とよたまひめのみこと父神ちちがみである豊玉彦命とよたまひこのみこと御祭神ごさいじんとしてまつ雨之社あめのやしろ建久けんきゅう年間(1190-1199)に植樹されたとされる御神木ごしんぼくの大クス、祓所はらえしょが続きます。

社殿しゃでん向かって右手には、四所神社ししょじんじゃ武内神社たけしうちじんじゃ隼風神社はやちじんじゃが並びます。四所神社ししょじんじゃは、品陀和気尊ほむだわけのみこと応神天皇おうじんてんのう)と中日賣命なかつひめのみこと御子神みこがみである大雀命おほさざきのみこと仁徳天皇にんとくてんのう) 、石姫命いしひめのみこと仁徳天皇にんとくてんのう妃神きさきがみ)、木之荒田郎女あらたのいらつめ根鳥命ねとりのみことまつっています。武内神社たけしうちじんじゃは、景行けいこう成務せいむ仲哀ちゅうあい応神おうじん仁徳にんとくの5代の天皇につかえたとされる武内宿禰たけしうちのすくねまつっています。隼風神社はやちじんじゃ御祭神ごさいじん日本武尊やまとたけるのみことです。

社殿しゃでん右手の駐車場に、護国ごこく英霊えいれいまつ招魂社しょうこんしゃ。山手への参道さんどうを進むと稲荷神社いなりじんじゃ、その参道さんどう鳥居口とりいぐち山神社やまがみしゃ大多羅知女神社おおたらちねじんじゃ門守社かどもりしゃ的に鎮座ちんざしています。稲荷神社いなりじんじゃ御祭神ごさいじんは、宇賀魂命うかのたまのみこと天鈿女命あめのうずめのみこと)、大宮賣命おおみやのめのみこと猿田彦命さるたひこのみこと。鳥居の向かって右側のやしろ山神社やまがみしゃ大山祇命おおやまつみのみことまつられています。左側のやしろ大多羅知女神社おおたらちねじんじゃは、息長帯比賣命おきながたらしひめのみこと神功皇后じんぐうこうごう)をまつっています。

Photo・写真

  • 大鳥居
  • 保食神社
  • 参道
  • 豊姫命と磯良命
  • 武甕槌命と経津主命
  • 火闌降命と大隈命
  • 石鳥居
  • 参道と宮橋
  • 門守社(豊磐窓命)
  • 門守社(櫛磐窓命)
  • 御神木の大クス
  • 雨之社
  • 祓所
  • 手水舎
  • 社殿
  • 社殿
  • 社殿
  • 社殿
  • 拝殿の天井の格子
  • 四所神社
  • 武内神社
  • 武内神社
  • 隼風神社
  • 護国の英霊を祀る招魂社
  • 護国の英霊を祀る招魂社
  • 山神社と大多羅知女神社
  • 山神社
  • 大多羅知女神社
  • 稲荷神社
  • 稲荷神社
  • 稲荷神社
  • 稲荷神社

情報

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住所〒899-5116
霧島市きりしまし隼人町はやとちょううち2496-1
創始そうし不詳ふしょうですが、神代かみよ、または神武天皇じんむてんのう御代みよ
社格しゃかく官幣大社かんぺいたいしゃ
例祭旧暦8月15日
神事しんじ初午祭はつうまさい旧暦きゅうれき1月18日の次の日曜日)
関連 石體神社(霧島市)
大穴持神社(霧島市)
鹿児島神社(鹿児島市)
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