九州の神社

阿蘇神社(阿蘇市)

御祭神

御祭神ごさいじん [いち神殿しんでん]
一宮:健磐龍命たけいわたつのみこと / 三宮:國龍神くにたつのかみ [吉見神よしみのかみ彦八井神ひこやいのみこと] / 五宮:彦御子神ひこみこのかみ [惟人命これひとのみこと] / 七宮:新彦神にいひこのかみ / 九宮:若彦神わかひこのかみ
[神殿しんでん]
二宮:阿蘇都比咩命あそつひめのみこと / 四宮:比咩御子神ひめみこのかみ / 六宮:若比咩神わかひめのかみ / 八宮:新比咩神にいひめのかみ / 十宮:彌比咩神やひめのかみ
[さん神殿しんでん]
十一宮:速瓶玉命はやみかたまのみこと [國造神こくぞうしん] / 十二宮:金凝神かなこりのかみ [綏靖天皇すいぜいてんのう]

由緒

阿蘇谷あそだに東部に位置し、南には火口(神霊池しんれいのいけ)、北には国造神社こくぞうじんじゃや5世紀から6世紀頃の築造と推定される中通古墳群なかどおりこふんぐんが点在する阿蘇神社あそじんじゃは、阿蘇あそ国造くにづくりの主人公である健磐龍命たけいわたつのみことを始め十二神じゅうにしんまつり、肥後國ひごのくに一宮いちのみやとして古代から重要な位置をしめしてきました。天地開闢てんちかいびゃく以来の最も古い神社ともいわれ、社記しゃきによれば孝霊天皇こうれいてんのう9年(前282)6月に勅命ちょくめいを受けた健磐龍命たけいわたつのみことの子で、初代阿蘇国造あそのこくぞうに任じられた速瓶玉命はやみかたまのみことが、両親をまつったのに始まると伝えられています。延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょうによると、肥後國ひごのくにでは式内社しきないしゃとして健磐龍命神社たけいわたつのみことじんじゃ阿蘇比咩神社あそひめじんじゃ国造神社こくぞうじんじゃ阿蘇三社あそさんしゃ疋野神社ひきのじんじゃが上げられています。

阿蘇山あそさん信仰は、火を噴く山をおそうやまう火山信仰から始まりました。共に、農業に大切な清水の湧き出す地に健磐龍命たけいわたつのみこと里宮さとみやとして宮居みやいしたことから水の神でもあり、当地をみのり豊かな地として開拓した農の神でもあります。

神武天皇じんむてんのう孫神まごがみ健磐龍命たけいわたつのみことは、勅命ちょくめいを受けて宇治郷うじごうより九州へ渡ったとされています。その後、宮崎・高千穂たかちほを経て、草部くさかべにおいて阿蘇都比咩命あそつひめのみことめとります。太古の阿蘇あそはカルデラ湖でしたが、健磐龍命たけいわたつのみことは満々とした湖水を流し出すために、外輪山がいりんざんの西側を足で蹴り崩し、湖内の水を干してこの地に住む人々に農耕の道を開いたと「阿蘇家伝あそかでん」では伝えられています。

健磐龍命たけいわたつのみことの名は弘仁こうにん14年(823)の「日本紀略にほんきりゃく」にその名が記され、早くから神霊池しんれいのいけ健磐龍命たけいわたつのみこと奥宮おくみやと見なされています。また、阿蘇あその神話においては、健磐龍命たけいわたつのみことが湖を開拓し、民に農耕を教え、狩りで獲たにえ天神地祇てんじんちぎに供えて祭祀さいしをしたことが、今に伝わっています。

記録と神話に示されるように、神霊池しんれいのいけの異変や噴火を起こす不可思議な力を持つ神(火山神ひのやまのかみ)の名は健磐龍命たけいわたつのみことと名付けられ、神霊池しんれいのいけ祈祷きとうの対象として崇敬すうけいされました。8~10世紀の国史こくしによれば、火口変動情報は度々朝廷に報告され、朝廷から健磐龍命たけいわたつのみことに対する寄進や神階しんかいの上昇をもたらしました。

神霊池しんれいのいけ上宮じょうぐうと呼ばれ、麓(宮地みやじ)の阿蘇神社あそじんじゃ下宮げぐうと呼ばれました。また、平安後期以降は、山上への天台宗てんだいしゅう寺坊じぼうの発達により、神霊池しんれいのいけとの関係は希薄になっていったと考えられています。

阿蘇神社あそじんじゃまつられている阿蘇あその神々についての記述は、養老ようろう4年(720)に完成された「日本書紀にほんしょき」の景行天皇けいこうてんのう18年(88)6月の記述に見ることができます。

『日本書紀巻第四 - 景行天皇十八年六月丙子』

到阿蘇国也。其国郊原曠遠。不見人居。天皇曰。是国有人乎。時有二神。曰阿蘇都彦。阿蘇都媛。忽化人以遊詣之曰。吾二人在。何無人耶。故号其国曰阿蘇。


阿蘇國あそのくにいたる。くに郊原こうげん曠遠こうえんなりて、人のるのを見ず。天皇いわく、くにに人るや。時に二神ふたかみりていわく、阿蘇都彥あそつひこ阿蘇都媛あそつひめたちまち人と遊詣ゆうけいっていわく「れら二人ふたりり、なんぞ人の無けむ。」ゆえくにごうしていわ阿蘇あそ

阿蘇山あそさんについての記述は、奈良時代初期(700年代前半)に編纂へんさんされた「肥後國ひごのくに風土記ふどき」の逸文いつぶんの記述にも見ることができます。

『肥後國風土記』逸文 ※出典『釋日本紀・卷十』

肥後國閼宗縣。縣坤廾餘里有一禿山。曰閼宗岳。頂有靈沼。石壁爲垣。計可縱五十丈、横百丈、深或廾丈或十五丈。清潭百尋、鋪白緑而爲質。彩浪五色絙黄金以分間。天下靈奇。出玆華矣。時々水滿、從南溢、流入于白川衆魚醉死。土人號苦水。其岳之爲勢也、中半天而傑峙、包四縣而開基。觸石興雲、爲五岳之最首。濫觴分水、寔群川之巨源。大徳巍々、諒人間之有一。奇形杳々伊天下之無雙。居在地心。故曰中岳。所謂閼宗神宮是也。


肥後國ひごのくに閼宗あそあがたあがたひつじさる(南西)、二十餘里にじゅうよさと一禿山ひとつあかはだかやまり、閼宗嶽あそだけう。いただき靈沼れいぬまり、石壁いしかべかきす。はかるにたて五十丈ごじゅうじょう(約150m)、よこ百丈ひゃくじょう(約300m)なるし。深さは、あるいは二十丈にじゅうじょう(約60m)、あるいは十五丈じゅうごじょう(約45m)。清潭百尋きよきふちはももひろにして、白綠びゃくろくきてそこす。彩浪さいろうは五色にして黃金こがねへ、ってあいだわつ。天下の靈奇れいきここに出づるはななり。時時ときどき水滿みずみち、南從みなみよあふれ、流れて白川しらかわに入り、衆魚しゅうぎょいて死す。土人くにひとごうして苦水にがみずう。たけかたるや、半天あめあたり傑峙そばだち、四縣よつのあがたねてもとを開く。石にれて雲におこし、五嶽いつたけ最首かしらり。さかづきうかべて、水をかち、これに群れる川のおおきなみなもとなり。大德だいとく巍巍たかく、まこと人間じんかんいちとしてり。奇形きけい沓沓とうとう天下てんか無雙むそうまるしんり。ゆえ中嶽なかだけう。所謂いわゆる閼宗神宮あそのかみのみやこれなり。

それ以前にも、中国の史書ししょ随書ずいしょ倭国伝わこくでん」(636)に記述を見ることもできます。

『随書・倭国伝』

有阿蘇山。其石無故火起、接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色靑大如雞卵。夜則有光、云魚眼精也。


阿蘇山あそさんり。の石、ゆえ無くして火起こり、天に接するぞくって異とし、って禱祭とうさいを行う。如意寶珠にょいほうじゅり、の色あおく大きさは雞卵けいらんごとし。夜はすなわち光り、魚の眼のしょうりとう。

以上の記述から、阿蘇山あそさんへの祈りは、6世紀以前から行われていたと考えられています。

創建以来、火山神ひのやまのかみまつ祭祀さいしを司ってきたのは健磐龍命たけいわたつのみことの直系の子孫である阿蘇家あそけです。阿蘇家あそけ大宮司だいぐうじ職として祖神おやがみに仕え、出雲大社いずもおおやしろ千家家せんげけ、和歌山の日前ひのくま國縣神宮くにかかすじんぐう紀家きけとともに日本の御三家といわれるにふさわしい旧家・名家とされています。平安後期の11世紀には武士化したとみられ、南郷谷なんごうだにや居城とした「はまやかた」(旧矢部町)などに居住し、以後16世紀末に衰退するまでの約500年間にわたって、封建的な在地領主の性格を有しました。広大な社領しゃりょうは、中世の阿蘇社あそしゃの経済的な基盤となり、度重なる社殿しゃでんの立替えと祭礼さいれい執行しつこうを担保しました。阿蘇氏あそしの繁栄によって、阿蘇神あそしんまつる神社がこの時期に多く創建されたと考えられています。文禄ぶんろく2年(1593)に豊臣秀吉よって当主の阿蘇惟光あそこれみつが殺されますが、慶長けいちょう6年(1601)に再興。以後、阿蘇あそに居住しています。


阿蘇あそ農耕祭事のうこうさいじ

阿蘇神社あそじんじゃを今日まで護持ごじしたものは九州中部の農民の深く広い尊崇心そんすうしんでした。

稲作の祭りは、季節の推移に稲の生育という条件を加え、儀礼的ぎれいてき予祝よしゅく播種はしゅ→田植→災除さいじょ→収穫→予祝よしゅく)に展開されます。阿蘇神社あそじんじゃをはじめ阿蘇谷あそだにの関係社で行われる一連の祭りは、稲作儀礼ぎれいの典型的な事例として学術的にも高く評価され、昭和57年(1982)に国の重要無形民俗文化財に指定されています。これらの祭りは阿蘇谷あそだに全体の広範囲で展開され、近年まで禁忌きんきを伴いながら暦生活の指標となっていました。各祭事さいじの起源は定かではありませんが、元亨げんこう元年(1321)には御田祭おんだまつりの存在を確認することができます。

国指定重要無形民俗文化財「阿蘇あそ農耕祭事のうこうさいじ」の主な神事しんじ祭事さいじは次になります。

踏歌節会とうかのせちえ(旧暦1月13日)
年初めに田歌たうたを謡い始める儀式。田歌たうた田植歌たうえたが芸能化したとと言われています。内容は目出度めでたい言葉で正月を祝い、阿蘇家あそけの繁栄を願うもの。中世には大地の眠りを覚ますべく、足踏みの所作がともなっていました。

まつり(3月初めてのの日~次のの日までの13日間)
主祭神しゅさいじん健磐龍命たけいわたつのみこと阿蘇あそに入った崇神天皇すじんてんのう22年(前76年)春2月の日を記念し、期間中毎日、五穀豊穣ごこくほうじょうぐら祈願きがんして神楽かぐらを奏します。祭りの期間中には境内けいだいで「の市」が開かれ、近年まで賑わいをみせていました。中世には「下野狩しもののかり」が行われ、そのにえ神前しんぜんに供えられていました。

田作祭たつくりまつりまつり期間中、の日~の日までの7日間)
社家しゃけ祖先神そせんしんとされる国龍神くにたつのかみ年祢神としねのかみともいう)が結婚するという物語的な行事構成で斎行さいこうされます。稲作の開始前に、国龍神くにたつのかみが結婚をすることで豊穣ほうじょうが約束され、国龍神くにたつのかみ神輿みこしに乗り、7日間にわたり毎夜異なる社家しゃけ宅に泊まります。各社家しゃけ宅では朝夕に神事しんじ神楽かぐらが行われ、国龍神くにたつのかみ社家しゃけの家族が共に食事をする宅祭たくまつりり行われます。4日目のさるの日には、妃神きさきがみを迎える「御前迎ごぜむかえ」が行われ、別動の神職しんしょく2名が、早朝より西方約10キロにある宮山みややまからの樫の木で作った妃神きさきがみ御神体ごしんたい神木しんぼく)を迎えに行き、阿蘇神社あそじんじゃまでお連れします。途中で所定の場所(8カ所)に立ち寄りながら、嫁入り前のみそぎや化粧のを済ませて夕刻に阿蘇神社あそじんじゃに到着します。神社参道では住民が萱束かやたばに火をつけて、振り回して歓迎します。これが火振神事ひふりしんじです。この火振神事ひふりしんじの間に神婚しんこんが行われます。7日目の最終日は満願日まんがんびで、結婚した国龍神くにたつのかみの前で豊作を祈念きねんし、神職しんしょくが稲作の耕作過程を模擬的に演じる田遊たあそび(田作神事たづくりしんじ)を行います。

風祭かざまつり(旧暦4月4日・旧暦7月4日)
稲作に害を及ぼす悪しき風を追い立て封じ込める神事しんじ。風の神をまつる2カ所の風宮神社かざみやじんじゃ宮地みやじ手野ての)において神事しんじが行われます。2人の神職しんしょくが異なる道を通って風を追い立てます。また、小豆飯が供えられ、カビのつき具合で豊凶ほうきょうを占います。

御田祭おんだまつり御田植神幸式おたうえしんこうしき(7月28日)
阿蘇神社あそじんじゃまつられている12はしらの神々が4基の神輿みこしに乗って行列を構成し、神社周辺の青田あおたをめぐり稲の生育具合を見てまわる行事。これにお供をするのは、全身白装束の女性(宇奈利うなり)など、約200人の行列。行列が進む間に田歌たうたが謡われ、2カ所の御旅所おたびしょに立ち寄ります。稲を神輿みこしの屋根に向かって投げ上げる田植式たうえしきが行われます。 

柄漏流神事えもりながししんじ(8月6日夜)
田歌たうたの歌い納めの氏子うじこの約100人は、夜通し田歌たうたを歌い街中を練り歩きます。季節は真夏で、体力が衰える時期。農作業に携わるものには睡魔が障害となりますが、夜通しの行事で睡魔を流してしまう趣旨があるとされています。

田実祭たのみさい(9月25日)
収穫の時期。稲作の完了を祭神さいじんに感謝し、最初の収穫米が神前しんぜんに供えられます。合わせて各種奉納行事ほうのうぎょうじが催され、神事しんじの「がんの相撲」や流鏑馬やぶさめが行われます。流鏑馬やぶさめは、かつて中世阿蘇あそ大宮司だいぐうじの武家的性格に由来するとされています。

⑧火焚き神事しんじ(8月19日~10月16日)
阿蘇神社あそじんじゃ摂社せっしゃである霜神社しもじんじや御神体ごしんたいを温め続けることで農作物の霜除けを祈願きがんするもの。阿蘇あその神話では、健磐龍命たけいわたつのみことが家来であった鬼八きはちの粗相をとがめて首を斬ります。鬼八きはちは死ぬ前に「傷口が痛い。天に昇ったら霜を降らせて農作物に害を与えてやる。」と言い残し果てます。その後、住民が霜の害に悩まされたため、健磐龍命たけいわたつのみこと鬼八きはちまつり、首の傷口を温めるべく火焚神事ひたきしんじが始まったと伝えられています。火焚神事ひたきしんじの際には、火焚殿ひたきでんに童女がもり、本殿ほんでんから移された御神体ごしんたいを温め続けます。かつては祭りの期間中に童女は、火焚殿ひたきでんから外に出ることが許されませんでした。現在は童女を選出する氏子うじこ地区の住民が、火焚ひたきの番を交代で務めています。


神社景観

現在の社殿しゃでんは天保6年(1835)から嘉永かえい3年(1850)にかけて藩主の細川氏ほそかわしの援助を得て建造されました。「いち神殿しんでん神殿しんでんさん神殿しんでん楼門ろうもん神幸門みゆきもん還御門かんぎょもん」の6棟は総欅造そうけやきづくりで、平成19年6月18日に国指定重要文化財に指定されました。神殿しんでん3棟と諸門3棟が東面して建ち、左右対称の景観が構成され、楼門ろうもんの両脇には四脚門しきゃくもん形式の神幸門みゆきもん還御門かんぎょもんが構えています。特に楼門ろうもんは、神社建築には珍しい二層の屋根を持っているのが特徴で、九州最大の規模を誇っています。拝殿はいでん奥には、桁行けたゆき・高さともに12mを超える五間社ごけんしゃ入母屋造いりもやづくりいち神殿しんでん神殿しんでん三間社さんげんしゃ流造ながれづくりさん神殿しんでんとが近接して立ち並び、左右対称の景観が構成されています。屋根は、当初は柿葺こけらぶきでしたが、現在は銅板葺どうばんぶき。軸部や組物には波頭紋はとうもん雲紋くももんの華やかな彫刻が多用に施され、構法ともに江戸末期の建築的特色がよく現われています。

しかし、平成28年(2016)4月16日に発生した平成28年熊本地震により「楼門ろうもん拝殿はいでん」が全壊。「いち神殿しんでん神殿しんでんさん神殿しんでん」も損壊。現在、2022年を目途に再建が進められています。


阿蘇十二神あそじゅうにしん

[いち神殿しんでん]
一宮健磐龍命たけいわたつのみこと神八井耳命かんやいみみのみことの子で神武天皇じんむてんのうの孫)
三宮國龍神くにたつのかみ [吉見神よしみのかみ彦八井神ひこやいのみこと] (阿蘇都比咩命あそつひめのみことの父で神武天皇じんむてんのうの子)
五宮彦御子神ひこみこのかみ [惟人命これひとのみこと](健磐龍命たけいわたつのみことの孫) ※阿蘇大宮司だいぐうじ家に繋がる系譜
七宮新彦神にいひこのかみ阿蘇都比咩命あそつひめのみことの兄弟で國龍神くにたつのかみの子)
九宮若彦神わかひこのかみ新彦神にいひこのかみ彌比咩神やひめのかみの子) ※阿蘇神社あそじんじゃ社家しゃけに繋がる系譜
[神殿しんでん]
二宮阿蘇都比咩命あそつひめのみこと健磐龍命たけいわたつのみこときさき國龍神くにたつのかみの子)
四宮比咩御子神ひめみこのかみ國龍神くにたつのかみきさき
六宮若比咩神わかひめのかみ彦御子神ひこみこのかみきさき
八宮新比咩神にいひめのかみ新彦神にいひこのかみ彌比咩神やひめのかみの娘)
十宮彌比咩神やひめのかみ新彦神にいひこのかみきさき
[さん神殿しんでん]
十一宮速瓶玉命はやみかたまのみこと [國造神こくぞうしん](健磐龍命たけいわたつのみこと阿蘇都比咩命あそつひめのみことの子)
十二宮金凝神かなこりのかみ [綏靖天皇すいぜいてんのう](健磐龍命たけいわたつのみことの叔父で神武天皇じんむてんのうの子) ※皇統こうとうに繋がる系譜

情報

住所〒869-2612
阿蘇市あそしいち宮町みやまち宮地みやじ3083-1
創始そうし孝霊天皇こうれいてんのう9年(前282)
社格しゃかく肥後国ひごのくに一宮いちのみや、旧官幣大社かんぺいたいしゃ別表神社べっぴょうじんじゃ
例祭7月28日(御田植おたうえ神幸式しんこうしき・おんだ祭り)
神事しんじ の祭(3月初卯はつうの日~次のの日)
田作たつくり祭(3月の日~の日)
  • 最終日に拝殿はいでんにて「田作たつく神事しんじ」、さるの日参道さんどう前にて「火振ひふ神事しんじ
かざ祭り(旧4月4日・旧7月4日)
雷除祭らいじょさい(6月5日)
柄漏流神事えもりながししんじ(8月6日)
さい(9月25日~26日)
HP公式HP / Wikipedia

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