九州の神社

蛭子神社(霧島市)

御祭神

御祭神ごさいじん蛭児尊ひるこのみこと

由緒

二宮にのみやさん」とも称される蛭兒神社ひるこじんじゃは、鹿児島神宮かごしまじんぐうから石體神社しゃくたいじんじゃを経由して北東1.7kmほどの地に鎮座ちんざしています。創建そうけんは定かでありませんが、遠く神代かみよ創建そうけんと伝えられ、「大隅國之おおすみのくにの二宮にのみや蛭兒神社ひるこじんじゃ」に比定ひていされている古社こしゃです。御祭神ごさいじん蛭児尊ひるこのみこと一座いちざ。現在の社域しゃいき寛延かんえい3年(1750)の遷宮せんぐう御造営ごぞうえいと伝えられています。御祭神ごさいじん蛭子ひるこ恵美須えびすとも称され、福徳ふくとくの神、漁業・航海・商売の神として信仰されています。社殿しゃでんは平成23年7月に新たに造営ぞうえいされたものです。

御祭神ごさいじん蛭児尊ひるこのみことは、伊奘諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみこととの間に最初に生まれた御子神みこがみです。伊奘諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみこと蛭兒神ひるこのかみを大変かわいがっていましたが、子作りの際に女神おんながみ伊弉冉尊いざなみのみことから先に、男神おとこがみ伊奘諾尊いざなぎのみことへ声をかけた事が原因で、蛭児尊ひるこのみこと生育せいいくかなわず、3歳になっても足腰が立ちませんでした。そのため、伊奘諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことは嘆いて高天原たかまがはらから、蛭児尊ひるこのみこと天磐楠船あめのいわくすふねに乗せられ淤能碁呂島おのごろじまからお流しになられました。

その蛭児尊ひるこのみことが流れ着いたのが当地とされ、天磐楠船あめのいわくすふねから不思議なことに枝葉が生じて、成長して巨木になりました。そのくすのきの実が落ちて「なげきのもり」一帯に繁茂しますが、歳月を経て故事こじに由来するくすのきは朽ち果てて空洞を生じ、根株ねかぶのみとなります。そのくすのきの枯れた木株きかぶ絵図えずが、天保てんぽう14年(1843)の「三国名勝図会さんこくめいしょうずえ」に載っており、今も「神代かみよくすのき」として呼ばれとうとばれている木株きかぶにあたると思われます。現在の御神木ごしんぼくは、享保きょうほう13年(1728)国分地頭こくぶじとう樺山久初かばやまひさはつが植え継いだものです。また、境内けいだいにはみことが流された時、釣り竿あるいは舟を進めるための水棹みさおとして用いたと伝えられる金色の節を持つ「金筋竹」も生えています。社宝しゃほうとしては、神域しんいきにあった神代古跡から出たと思われる、今から1200-1300年前の唐式鏡からしきかがみ猊禽獣文帯華文鏡さんげいじゅうもんたいげもんきょうが保存してあります。

なお、付近一帯は親神おやがみの心を察して「奈毛木神森なげきのかみのもり」とも称され、大隅おおすみの国の景勝けいしょうの地して、日本最南の歌枕うたまくらの地として古くから歌に詠まれています。

  • ねぎ事を さのみさきけむやしろこそ 果てなげきのもりとなるらめ (安倍清行あべのきよゆき朝臣あそんの女)
  • 枯れにけり 人の心の秋風に 果はなげきもりのことの葉 (新古今集しんこきんしゅう 藤原秀茂ふじわらのひでよし
  • 春は花 秋は紅葉のあかなくに 散るや奈気木なげきやしろというらん (遊行上人ゆぎょうしょうにん
  • 時鳥ほととぎす 嘆きのもりに逢はずして 君が待夜は過にけるかな (夫木和歌抄ふぼくわかしょう
  • 山風を 忍ばざらめや今とても 道をなけきのもりの言の葉 (中納言 島津家久しまづいえひさ
  • 山かぜを なげきのもりの 落葉かな (細川幽斎ほそかわゆうさい

Photo・写真

  • 境内への参道から
  • 神代の楠
  • 神代の楠
  • 境内入口
  • 境内入口前から社殿
  • 境内入口前
  • 二之鳥居
  • 門守社
  • 門守社
  • 境内全景
  • 社殿
  • 社殿
  • 社殿
  • 本殿

情報

住所〒899-5116
霧島市きりしまし隼人町はやとちょううち2563
創始そうし不詳ふしょうですが神代かみよと伝えられています
社格しゃかく大隅國之おおすみのくにの二宮にのみや
例祭6月16日
HP鹿児島県神社庁 / Wikipedia

地図・マップ