英彦山の北東中腹に鎮座する高住神社は、英彦山豊前坊(英彦山49窟18番)とも知られ、英彦山49窟の中で英彦山の南西に鎮座する玉屋神社(般若窟・英彦山49窟1番)と同じく、窟の中に神社が造られています。社伝によりますと、御祭神は、豊前・豊後国の守護神として、古くから鷹巣山に祀られ人々の病苦を救い、農業や牛馬・家内安全の神として古くから崇められていました。社殿の創建は、継体天皇23年(529)8月12日、豊後国日田郡の藤原恒雄が「吾此の磐根にあること年久し天下国家の為人民の病苦を救ひ刀剣の業を司り火災を防ぎ牛馬蕃息を守るのみならず、尚豊前後の境に宮柱を立て豊国人の所願を満さんと此土地に鎮座し玉ふ」と神託を授けられ神祠を建てて創建されたとされています。天平12年(740)春には聖武天皇の勅願により再建されたと伝えられています。
また本社は、豊前坊天狗神としても有名で江戸時代までは、日本八大天狗の英彦山豊前坊(豊前坊大天狗)が住まうとされていました。英彦山豊前坊は九州の天狗の棟梁格で、霊力が抜群で天狗倒しで有名です。天狗倒しは、深山で深夜に突然すさまじい原因不明の大音響、木を切る音や倒れる音が聞こえるもの、翌日様子を見に行ってみると何も変わっていないというものです。英彦山ではこの天狗倒しがよく起き、英彦山豊前坊の御霊力の表れとされています。
英彦山豊前坊は、欲深く奢りに狂った人には小天狗を飛ばせて子供をさらったり、家に火をつけるなど慈悲の鉄槌を下し、心正しく信仰する人には家来の天狗を集めて願い事を遂げさせ、其の身を守ると伝えられてきました。明治期の神仏分離令・修験禁止令により社名が高住神社に変わって以降もその高い御神徳を称え、現在でも修験者たちの信仰を集めています。
八大天狗
- 愛宕山太郎坊[京都]・比良山次郎坊[滋賀]・鞍馬山大僧正[京都]・高雄内供奉飯綱三郎[長野]・伯耆大仙清光坊[神奈川]・彦山豊前坊[福岡]・白峯相模坊[香川]・熊野大峰菊丈坊[奈良]
現在、御祭神として豊日別命(豊日別国魂神)、天照大神、天火明命(天照国照彦火明之命)、少名毘古那命の5柱の神を祀っています。
豊日別命(豊日別国魂神)
- 豊前・豊後国の住民の守護神。伊邪那伎命・伊邪那美命の国産みで生まれた筑紫島(九州)は身一つにして面四つあり、その内のひとつである豊国の御霊が豊日別命です。
『古事記』上巻・伊邪那伎命と伊邪那美命の国産みの条
次生筑紫嶋、此嶋亦、身一而有面四、毎面有名、故、筑紫國謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥別、熊曾國謂建日別。
次に筑紫嶋を生みき。此の嶋も亦、身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、筑紫國は白日別と謂ひ、豐國は豐日別と謂ひ、肥國は建日向日豐久士比泥別と謂ひ、熊曾國は建日別と謂ふ。
天照大神
- 日・太陽の神。伊邪那岐命が橘の小門にて禊ぎ祓い、左目を洗いますときに生まれた神。天に坐して遍く照り渡る意の名前です。皇室の御祖神として伊勢神宮に祀られています。
天火明命(天照国照彦火明之命)
- 稲穂(農耕)の神。英彦山神宮の御祭神である天忍穂耳之命と萬幡豊秋津師比賣命との間に生まれた神で、邇邇藝命の兄神。名前は稲穂の尊称で稲穂が熟して赤らむ様子を意味しています。
火須勢理命(火燗之命)
- 鎮火(火伏)の神。邇邇藝命と木花之佐久夜比賣との間に生まれた神。兄神は火照命(海幸彦)で、弟は火遠理命(山幸彦・彦火火出見尊)です。
少名毘古那命
- 禁厭(祈祷)医薬の神。神産巣日神の御子神。神産巣日神の命によって大国主命と兄弟の誓いをなし、我が国土を造り固め、禁厭医薬の道を講じて国民を救い、のち再び去りて常世国に渡った神です。元は鷹巣山に鎮座していましたが文政年中(1818-1831)当社に遷座しました。
境内の石鳥居は元禄10年(1698)の造営です。その鳥居の横に、北九州京築地方の水がめとなっている今川の水源である「獅子の口」があります。参道を進んで左手に、お籠堂。お籠堂と手水舎の間に推定樹齢約850~900年とされる御神木の天狗杉があります。
社殿の後方は天狗岩。妻入唐破風付の拝殿の奥は天狗岩の窟となっており、そこが本殿となっています。社殿の向かって右手に豊前坊龍神が鎮座し、御神水を戴くことができます。そこから登山口側の沢は、お瀧場です。
高住神社は今川の水源でもあることから、山麓一帯からの水分神の信仰、農業畜産の神としても厚く信仰されています。社殿前の青銅の神牛は、天保9年(1839)五穀豊穣、牛馬・家内安全を祈願して、田川郡の大庄屋6人が建てたものです。人畜の病める部分と振替えてもらうよう其の部分をなでる風習あります。
英彦山神社の摂社されていましたが、明治14年(1881)1月14日村社に、昭和6年(1931)7月10日県社に列せられました。