九州の神社

香椎宮(福岡市)

御祭神

主祭神しゅさいじん仲哀天皇ちゅうあいてんのう神功皇后じんぐうこうごう
配祀神はいしがみ応神天皇おうじんてんのう住吉大神すみよしのおおかみ

由緒

立花山たちばなやま南西麓に鎮座ちんざする香椎宮かしいぐうは、仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)または、神亀じんき元年(724)の創建そうけんで、主祭神しゅさいじんとして仲哀天皇ちゅうあいてんのう神功皇后じんぐうこうごうまつっています。古代には神社ではなく霊廟れいびょうに位置づけられ、仲哀天皇ちゅうあいてんのう神功皇后じんぐうこうごう神霊しんれいまつる「香椎廟かしいびょう」と称されていました。普通の一般の神社と趣を異にすることから「延喜式えんぎしき」には、神社には列せずして「式部省しきぶしょう」の部に記せられています。神亀じんき元年(724)以降、勅使ちょくしは都度参向さんこうされ、明治18年(1885)に戦前の近代社格しゃかく制度においては最高位の官幣大社かんぺいたいしゃに位置づけられ、大正14年(1925)の勅使ちょくし奉幣ほうへい以後は10年毎ねんごと勅使ちょくし参向さんこうを受ける勅祭社ちょくさいしゃです。

諸神記しょじんき』、『香椎宮かしいぐう編年記へんねんき』、『香椎廟宮記かしいびょうぐうき』などによると、仲哀天皇ちゅうあいてんのう8年(199)9月、御祭神ごさいじんである仲哀天皇ちゅうあいてんのうは、神功皇后じんぐうこうごうと共に橿日宮かしひのみやにて、熊襲くまそ平定へいていの準備を進めます。その時、神懸かみがかりした神功皇后じんぐうこうごうから「熊襲くまそよりも宝のある新羅しらぎを攻めよ」との託宣たくせんを受けます。しかし仲哀天皇ちゅうあいてんのうは、これを信じず、翌9年(200)2月6日この香椎かしいの地にて崩御ほうぎょされます。

仲哀天皇ちゅうあいてんのう崩御ほうぎょの後、創建そうけんまでの経緯は諸説あり、ひとつは三韓征討さんかんせいとう仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)で、もうひとつは神亀じんき元年(724)です。仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)の説には、仲哀天皇ちゅうあいてんのう崩御ほうぎょから三韓征討さんかんせいとうにかけてどの時期に創建そうけんされたのかについて、3つの説が挙げられています。

  • ①【凱旋がいせん後に創建そうけん】その後を引き継いだ神功皇后じんぐうこうごうは、住吉大神すみよしのおおかみ神託しんたくを受け、熊襲くまそ平定へいてい。そして新羅しらぎ征討せいとうのため、海を渡り三韓征討さんかんせいとうを行い新羅しらぎ平定へいていします。凱旋がいせん後、仲哀天皇ちゅうあいてんのう御霊みたましずめるべく神功皇后じんぐうこうごうは、現在の古宮ふるみやの地に皇霊殿こうれいでんのごときほこらを建て、三種の神器しんき御剣みつるぎ御鉾鐵みてつほこ御杖みつえ)を埋め、その上によろいそでれたすぎを植え、敵国てきこく降伏こうふく本朝ほんちょう鎮護ちんごすべしと御神霊ごしんれいいつたてまつったのが香椎宮かしいぐう創建そうけんとされています。また、仲哀天皇ちゅうあいてんのう崩御ほうぎょの時、天皇の御屍みかばね御棺みひつぎに納めたてまつりしばらくしいの木にけられた時、異香いこう四方にくんじたことが香椎かしいの地名の起りとされています。
  • ②【征伐せいばつ前に創建そうけん仲哀天皇ちゅうあいてんのう御霊みたましずめるべく神功皇后じんぐうこうごうは、現在の古宮ふるみやの地に皇霊殿こうれいでんのごときほこらを建てて、三種の神器しんき御剣みつるぎ御鉾鐵みてつほこ御杖みつえ)を埋め、その上によろいそでれたすぎを植え、敵国てきこく降伏こうふく本朝ほんちょう鎮護ちんごすべしと御神霊ごしんれいいつたてまつったのが香椎宮かしいぐう創建そうけんとされています。また、仲哀天皇ちゅうあいてんのう崩御ほうぎょの時、天皇の御屍みかばね御棺みひつぎに納めたてまつりしばらくしいの木にけられた時、異香いこう四方にくんじたことが香椎かしいの地名の起りとされています。仲哀天皇ちゅうあいてんのうの後を引き継いだ神功皇后じんぐうこうごうは、熊襲くまそ平定へいてい。そして住吉大神すみよしのおおかみ神託しんたくで再び新羅しらぎ征討せいとう託宣たくせんが出たため、海を渡り三韓征討さんかんせいとうを行い新羅しらぎ平定へいていします。
  • ③【①と②の折衷】仲哀天皇ちゅうあいてんのう御霊みたましずめるべく神功皇后じんぐうこうごうは、天皇の御屍みかばね御棺みひつぎに納めたてまつり、しばらくしいの木にけられると異香いこう四方にくんじたと伝えられ、それが香椎かしいの地名の起りとされています。仲哀天皇ちゅうあいてんのうの後を引き継いだ神功皇后じんぐうこうごうは、熊襲くまそ平定へいてい。そして住吉大神すみよしのおおかみ神託しんたくで再び新羅しらぎ征討せいとう託宣たくせんが出たため、海を渡り三韓征討さんかんせいとうを行い新羅しらぎ平定へいていします。凱旋がいせん後、仲哀天皇ちゅうあいてんのう御霊みたましずめるべく神功皇后じんぐうこうごうは、古宮ふるみやの地に皇霊殿こうれいでんのごときほこらを建て、三種の神器しんき御剣みつるぎ御鉾鐵みてつほこ御杖みつえ)を埋め、その上によろいそでれたすぎを植え、敵国てきこく降伏こうふく本朝ほんちょう鎮護ちんごすべしと御神霊ごしんれいいつたてまつったのが香椎宮かしいぐう創建そうけんとされています。

もうひとつの説は、養老ようろう7年(723)神功皇后じんぐうこうごうからの託宣たくせんを受けて養老ようろう8年(724)に創建そうけんしたとするものです。神功皇后じんぐうこうごう崩御ほうぎょされてから約450年後の養老ようろう7年(723)2月6日、仲哀天皇祠ちゅうあいてんのうしそば神功皇后じんぐうこうごう社殿しゃでん造営ぞうえいするよう神功皇后じんぐうこうごうからの託宣たくせんがあり、太宰府だざいふからそうせられた朝廷ちょうていは、即時にしょうして課役かえきを九州に出して大廟たいびょうを建てます。神亀じんき元年(724)12月20日に現在の本殿ほんでんの地に社殿しゃでん竣工しゅんこうし、神功皇后じんぐうこうごう神霊しんれい鎮祭ちんさいします。この両宮りょうぐうあわせて香椎廟かしいびょうと称し、祭祀さいし軽重けいちょうの差もなく奉斎ほうさいされていましたが、時勢の変遷へんせんにより何時いつしか神功皇后じんぐうこうごう神祠しんしのみを香椎宮かしいぐうと称し、仲哀天皇ちゅうあいてんのう神祠しんし古宮ふるみやまつられるようになっていました。

大正4年(1915)11月10日には勅旨ちょくしにより古宮ふるみやより仲哀天皇ちゅうあいてんのう御神霊ごしんれい御遷座ごせんざされ、神功皇后じんぐうこうごう御同座ごどうざ奉斎ほうさいされるようになりました。また、創建そうけん時に神功皇后じんぐうこうごう神功皇后じんぐうこうごう両柱りょうはしらまつったとの説も在り、経緯の詳細は不明です。いつしか神功皇后じんぐうこうごうのみがまつられるようになったとも伝えられています。

伊勢いせ神宮じんぐうに次ぎて朝廷ちょうていの御尊崇そんすうあつく、宇佐うさ香椎廟かしいびょうに準ずるとされました。古来、即位そくい大嘗だいじょう変災へんさい外寇がいこうその他にわたり、国家に大事だいじある時は必ず奉幣ほうへい御儀おんぎがあり、「頻浪しきなみ奉幣ほうへい」(絶え間なくしばしば御差遣ごさけんの意)と伝えられ、伊勢神宮いせじんぐう氣比神宮けひじんぐう石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうとともに「本朝四所ほんちょうししょ」の一所いっしょにも数えられました。

香椎宮かしいぐう勅祭ちょくさい文献ぶんけん上の初見しょけんは『続日本紀しょくにほんぎ天平てんぴょう9年(737)夏四月乙巳朔きのとみついたちくだりに「使つかい伊勢神宮いせじんぐう大神社おおみわしゃ筑紫ちくし住吉すみよし八幡はちまん二社にしゃ(宇佐うさ)・及び香椎宮かしいぐうつかわし、ぬさたてまつ新羅しらぎ無礼ぶれいじょうを告げしむ」とあります。

御炎上ごえんじょうあれば5ヶ日廃朝はいちょうあらせられ、また、大宰帥だざいのそち新任しんにんの場合は、まず香椎廟かしいびょう参詣さんけいして後に国政を見るをためしとしました。後伏見天皇ごふしみてんのう御代みよ(1298-1301)には戦乱の為に奉幣ほうへいは中絶するに至りましたが、櫻町天皇さくらまちてんのう延享えんきょう元年(1744)に再興さいこうせられ、甲子きのえねの年のめぐる61年毎ねんごとに必ず奉幣ほうへいあらせらるる事となり、文化ぶんか元年(1804)、元治げんじ元年(1864)を経て大正14年(1925)の勅使ちょくし奉幣ほうへい以後は10年毎ねんごと参向さんこうあらせられています。

相殿神あいどのがみまつられている神功皇后じんぐうこうごう皇子おうじ応神天皇おうじんてんのう八幡大神やはたのおおかみ)、新羅しらぎ討伐とうばつ御功績ごこうせきあった住吉大神すみよしのおおかみ配祀はいし年月ねんげつ由緒ゆいしょ等は不詳ふしょうですが、八幡大神やはたのおおかみとしても知られる神皇じんこう第15代の応神天皇おうじんてんのう仲哀天皇ちゅうあいてんのう神功皇后じんぐうこうごう御子神みこがみです。住吉大神すみよしのおおかみは、三韓平定さんかんへいていの際、神功皇后じんぐうこうごう御神託ごしんたくさずけ、御渡海ごとかいに際し、それを守護しゅごし、導いた神様です。また、神功皇后じんぐうこうごう三韓平定さんかんへいていの際、御懐妊ごかいにんの身ながら石をふところにいて出征しゅっせいし、戻られて無事に応神天皇おうじんてんのう御出産ごしゅっさんされた事から聖母大明神しょうもだいみょうじん信仰しんこうされ、安産の霊験れいげんあらたかです。

明治維新後、明治4年(1871年)6月に近代社格しゃかく制度において国幣中社こくへいちゅうしゃれっし、明治18年(1885)には官幣大社かんぺいたいしゃ昇格しょうかく。戦後は神社本庁じんじゃほんちょう別表神社べっぴょうじんじゃれっしています。


神事しんじ祭事さいじ

勅祭ちょくさい

香椎宮かしいぐうは、全国に16社ある勅祭社ちょくさいしゃの一社で、九州では宇佐神宮うさじんぐう香椎宮かしいぐうの2社が勅祭社ちょくさいしゃです。「勅祭ちょくさい」は、天皇の勅使ちょくしが、御幣帛ごへいはく捧持ほうじして御参向ごさんこうになり、神前しんぜん宣命せんみょうそうせられ、勅使ちょくしが直接御祭儀ごさいぎり行われます。10年毎ねんごとに10月29日斎行さいこうされ、宮中きゅうちゅうより御献納ごけんのう神饌しんせん幣帛料へいはくりょうささげ、宝祚ほうそ無窮むきゅう、万民の安寧あんねいを祈ります。香椎宮かしいぐう勅使ちょくし御参向ごさんこうせられた記録は、天平てんぴょう9年4月(737)新羅しらぎ無礼ぶれいじょうを告げたもう為のものが最初で、毎年の御参向ごさんこう、時には1ヶ月に2度の御参向ごさんこうもあり、頻浪しきなみ奉幣ほうへいと伝えられています。後伏見天皇ごふしみてんのう御代みよ(1298-1301)には戦乱の為に奉幣ほうへいは中絶するに至りましたが、延享えんきょう元年(1744)に勅祭ちょくさい再興さいこうされて以降、甲子きのえねの年(60年に1度)が勅使ちょくし御参向ごさんこうの年と定められました。文化ぶんか元年(1804)・元治げんじ元年(1864)と続き、大正14年(1925)の勅祭ちょくさい以後は10年毎ねんごと勅使ちょくし参向さんこうの年となり、文献によると今日まで108回の勅祭ちょくさい斎行さいこうが確認されています。

大祭たいさい

春季氏子大祭しゅんきうじこたいさい神功皇后じんぐうこうごう崩御ほうぎょ御忌日おんきじつ4月17日を祭り日と定め、氏子うじこ奉仕ほうし祭典さいてんが行われ、獅子楽しししがく(県指定重要文化財)、踏歌とうかが奉納され、隔年かくねん御神幸式ごじんこうしきがあります。10月に斎行さいこうされる秋季氏子大祭しゅうきうじこたいさいには流鏑馬やぷさめ獅子楽しししがく踏歌とうかなど伝統行事の奉納ほうのうがあります。近年、春季大祭しゅんきたいさい秋季大祭しゅうきたいさいともそれぞれ17日近くの日曜日に斎行さいこうされています。

古宮祭ふるみやさい

仲哀天皇ちゅうあいてんのうまつる祭りで、3月及び12月の6日に年2回行われ、昔は、大宰帥だざいのそち以下国司こくし参詣さんけいして祭文さいもんそうし、筥崎はこさき海人あまが48尾の紅魚あかうおけんじ、志賀しか白水郎はくすいろう風俗舞ふぞくまいそうしたと伝えられています。今も志賀島しかしま箱崎浦はこさきうらから海産物が奉納ほうのうされます。


境内社けいだいしゃなど】

古宮ふるみや

古宮・仲哀天皇大本営御旧蹟

社殿しゃでんから北東100mに鎮座ちんざ仲哀天皇ちゅうあいてんのう熊襲くまそ平定へいていの為に当地へ下向された時の行宮あんぐう橿日宮かしひのみや」の地。仲哀天皇ちゅうあいてんのう御神霊ごしんれいまつったびょうが建てられていた香椎宮かしいぐう起源きげんの地です。現在、社殿しゃでんはありませんが、以前は仲哀天皇ちゅうあいてんのう神廟しんびょうがあったので古宮ふるみやと呼ばれています。入り口正面に仲哀天皇ちゅうあいてんのう崩御ほうぎょの時、天皇の御亡骸みなきがら御棺みひつぎに納めたてまつりしばらくしいの木にけられた時、異香いこう四方にくんじ「香椎かしい」の地名の起りとも言われる棺掛椎かんかけしいがあります。奥には橿日宮かしひのみやの後を示す「仲哀天皇ちゅうあいてんのう大本営だいほんえい御旧蹟ごきゅうせき」の石碑せきひが建てられています。

綾杉あやすぎ

中門ちゅうもん前の広場に立つ御神木ごしんぼくの「綾杉あやすぎ」は、神功皇后じんぐうこうごう三韓さんかんより当地へ御帰還ごきかんの際に三種の神器しんき御剣みつるぎ御鉾鐵みてつほこ御杖みつえ)を埋め、よろいそでれていた杉枝すぎえだを植えたものが成長したものです。その葉はあやように交互に生えているので綾杉あやすぎといわれています。神功皇后じんぐうこうごうは御自身の神霊しんれいをこのすぎに留め、仲哀天皇ちゅうあいてんのうのおそば永仕えいしし「永遠に本朝ほんちょう鎮護ちんごすべし」と祈りをめたとされ、養老ようろう7年(723)2月6日、同年12月28日の御託宣ごたくせんにも「ちんこのすぎたまとどめて長く異国いこく降伏こうふくかつすぎなおなる如く正直の人を守るべし」と告げられています。国家鎮護こっかちんごの象徴として古来よりその杉葉すぎのは朝廷ちょうてい献上けんじょうされ、大宰帥だざいのそち新任しんにんされた人は必ず香椎宮かしいぐう参拝さんぱいし、この杉葉すぎのはかんむりれることが恒例の儀式ぎしきとして行われ、任期中の無事を祈りました。幾度か神殿しんでんと共に焼けた事がありましたが、その度毎たびごとに植え継ぐことなく今日も今猶いまなお、空高くそびえています。

不老水ふろうすい(位置)

不老水

香椎宮かしいぐうから北東約400mの飛び地境内けいだい、不老山のふもとにある霊泉れいせん不老水ふろうすい」は、300年の長寿を保ち五朝ごちょう景行けいこう成務せいむ仲哀ちゅうあい応神おうじん仁徳にんとく)におつかえした武内宿禰たけうちのすくね仲哀天皇ちゅうあいてんのう神功皇后じんぐうこうごうしたがってこの地に滞在の時、掘ったと伝えられる霊泉れいせんです。この御霊泉ごれいせんを汲み取り朝夕あさゆう奉献ほうけん飯酒はんしゅ調ととのえ、また自らも用いたと伝えられています。疾病えきびょうを除き寿命を延ばすと言われ、天平宝字てんぴょうほうじ2年(758)に井戸が補修された際に「不老水ふろうすい」と名付けられました。毎年正月綾杉あやすぎの葉・椎茸しいたけと共に皇室に献上けんじょうされています。昭和60年(1985)には環境庁「名水百選」に認定されました。また、一帯は武内宿禰たけうちのすくねが居住した地として「武内屋敷跡たけうちやしきあと」と称されています。

社殿しゃでん

香椎造の本殿

国指定重要文化財の指定を受けている本殿ほんでんの建築様式は「香椎造かしいづくり」という独特なもので、神亀じんき元年(724)に建立こんりゅうされました。現在の本殿ほんでん享和きょうわ元年(1801)に第10代福岡藩主はんしゅ黒田長順くろだながよりにより再建されたものです。入母屋造いりもやづくり平入ひらいりが基本となっていいますが、外陣げじん左右に「獅子しし」と呼ばれる一間いっけん翼状つばさじょうに張り出し、張り出した部分を切妻屋根きりづまやねで覆い、平面では凸字型となっています。また、外陣げじん左右の突出部には、「車寄くるまよせ」と呼ばれる途切れた階段があります。これは鳳輦ほうれんの高さに合わせて作られたものです。その他、正面中央は大千鳥破風おおちどりはふ縋破風すがるはふ向拝こうはいなどの様々な建築様式が用いられ、複雑な屋根の形や車寄くるまよせの特徴から「香椎造かしいづくり」と呼ばれています。

拝殿と幣殿

本殿ほんでん前に建てられる幣殿へいでんは、一般的な神社でいう拝殿はいでんに相当する建物で、古来勅使ちょくし幣帛へいはくささげる場所であるとして「幣殿へいでん」と称されています。この幣殿へいでんからは左右に透塀すけべいが伸び、本殿ほんでんを取り囲んでいます。また幣殿へいでん前に建てられる拝殿はいでん土間敷どまじきで、正面には「香椎宮かしいぐう」の勅額ちょくがくかかげられています。これら社殿しゃでん群の正面に中門ちゅうもんが位置し、この中門ちゅうもんの左右には回廊かいろうが接続しています。これら本殿ほんでんに続く社殿しゃでん群は、明治31年(1898)頃の再建です。

楼門ろうもん

重層じゅうそう檜皮葺ひのきかわぶき総欅そうひのき白木造しらきづくりの門です。戦火により焼失していましたが、明治36年(1903)追遠会ついえんかい事業により再建されました。また左右に備える筋塀すじべいは、自社の位を示し、香椎宮かしいぐうは最高の五本筋となっています。

勅使ちょくし参拝さんぱい標石ひょうせき

この標石ひょうせきは恐らく奈良時代に建てられたと推定されている標石ひょうせきで①「御休息所ごきゅうそくじょ」②「御手水所おてみずじょ」③「御祓所おはらいしょ」④「御脱剣所おんだっけんしょ」⑤「衛士居所えいしいしょ」の五つの標石ひょうせきが立っています。これは勅使ちょくしまたは大宰帥だざいのそち香椎廟かしいびょう参拝さんぱい儀式ぎしきの順序場所を示したもので香椎宮かしいぐうにだけある貴重な標石ひょうせきです。

武内神社たけうちじんじゃ

社殿しゃでん向かって左手に鎮座ちんざ大臣おおおみ武内宿禰命たけうちのすくねのみことまつ摂社せっしゃ不老長寿ふろうちょうじゅ、学業成就、身体健康の御神徳ごしんとくがあります。4月15日が例祭日れいさいびです。

巻尾神社まきおじんじゃ

社殿しゃでん向かって右手に鎮座ちんざ中臣鳥津なかとみいかつ大連おおむらじまつ摂社せっしゃ中臣鳥津なかとみいかつ大連おおむらじは、神功皇后じんぐうこうごう三韓征伐さんかんせいばつの際の重臣じゅうしん中臣氏なかとみしの祖先とされています。勝負運向上、武芸上達、成功勝利の御神徳ごしんとくがあります。7月8日が例祭日れいさいびです。

鶏石神社けいせきじんじゃ

鶏石神社

綾杉あやすぎの隣に稲荷神社いなりじんじゃと並んで鎮座ちんざしています。石化せきかしたとりまつ末社まっしゃ修理固成しゅりこせい、育児夜泣き、養鶏ようけい御神徳ごしんとくがあります。9月1日が例祭日れいさいびです。江戸時代の書物『雲根志うんこんし』によると、その死を憐れんだ僧侶によって、石になったとりほこらにおまつりされたことが起源きげんと伝えられます。『韓詩外伝かんしがいでん』には「かんいただくはぶんなり、足にけづめを持つはなり、敵前に敢えて戦うはゆうなり、食を見て相呼あいよぶはじんなり、夜を守って時を失わぬはしんなり。」とあり、とり文武勇仁信ぶんぶゆうじんしん五徳ごとくに優れるとされ、またその鳴き声は神様の出現を知らせる特別なものと云われます。鶏石神社けいせきじんじゃは、とりがたまごを産みそのたまごが孵化ふかするように、形のないところから物事が成就する修理固成しゅりこせい御神徳ごしんとくがあるとされます。とりをおまつりしている神社は全国に珍しく、例祭日れいさいびにはとりに関連する企業の方も数多く参詣さんけいされ、また、とりは夜鳴かないことから子どもの夜泣きにも御利益があると言われます。

稲荷神社いなりじんじゃ

綾杉あやすぎの隣に鶏石神社けいせきじんじゃと並んで鎮座ちんざしています。穀物神こくもつしん保食大神うけもちのおおかみまつ末社まっしゃ商売繁昌しょうばいはんじょう五穀豊穣ごこくほうじょう殖産興業しょくさんこうぎょう御神徳ごしんとくがあります。初午はつうま、3月1日が例祭日れいさいびです。

弁財天社べんざいてんしゃ

弁財天社

しょうぶいけほとり鎮座ちんざする市杵島姫命いちきしまひめのみことまつ末社まっしゃ。5月己巳つちのとみ日と9月己巳つちのとみ日が例祭日れいさいびです。香椎宮かしいぐう八所はっしょのひとつとして香椎宮かしいぐう創始そうしの昔よりお祭りしてあったこの弁財天社べんざいてんしゃは『香椎宮かしいぐう編年紀へんねんき』に「寛永かんえい8年(1631)再び宮前みやまえの池を穿うががち、又古規こきの如く辨財天べんざいてんやしろを建つ」と見えているように、それ以前からこの中之島なかのしま御鎮祭ごちんさいしてあった事がわかります。明治元年、香椎馬場かしいばばにおうつししてありましたが、昭和32年(1957)9月2日に再びこの地に御遷座ごせんざされました。

早辻神社はやつじじんじゃ
御田氏みたし氏神うじがみ大伴武以おおとものたけもち大連おおむらじ、及び清原氏きよはらし祖神おやがみ清原真貞きよはらのまさだまつ末社まっしゃ。7月16日が例祭日れいさいびです。

朽瀬神社くちせじんじゃ

境内けいだい入り口から100m向かいに鎮座ちんざ武内宿禰たけうちのすくねの子で社家しゃけ本郷氏ほんごうしである羽田矢代宿禰はたのやしろのすくねまつ末社まっしゃ。7月24日が例祭日れいさいびです。

平野神社ひらのじんじゃ(位置)

境内けいだい入り口から200m北西に鎮座ちんざ大鷦鷯尊おほさざきのみこと仁徳天皇にんとくてんのう)をまつ境外けいがい末社まっしゃ。3月1日が例祭日れいさいびです。

「高陪神社」(位置)

境内けいだいから北北東400m、不老水ふろうすいの近くに鎮座ちんざ武内宿禰たけうちのすくね後裔こうえいで、香椎宮かしいぐう創建そうけん時の大宮司だいぐうじである武内宿禰たけうちのすくね氏連うじむらじまつ境外けいがい末社まっしゃ。7月24日が例祭日れいさいびです。

「印鑰神社」(位置)

境内けいだいから北北西200mに鎮座ちんざ武内宿禰たけうちのすくねの子で社家しゃけ石川氏いしかわしである蘇我石川宿禰そがのいしかわのすくねまつ境外けいがい末社まっしゃ。7月23日が例祭日れいさいびです。

御島神社みしまじんじゃ(位置)

御島神社(浜鳥居)

境内けいだいから西北西1.5km。香椎浜かしいはまと人工島間の海上の、鳥居とりいが立っている島に鎮座ちんざする神社です。綿津見神わたつみのかみまつ境外けいがい末社まっしゃ。旧暦の8月15日が例祭日れいさいびです。神功皇后じんぐうこうごう御渡海ごとかいに際し、神々の神教しんきょう当否とうひを占われたと日本書紀にほんしょきにも伝えている聖地です。海上安全・交通安全・開運厄除やくよけ御神徳ごしんとくがあります。

Photo・写真

  • 鳥居
  • 神橋から境内
  • 弁財天社
  • 楼門前の鳥居
  • 楼門
  • 中門前
  • 鶏石神社と稲荷神社
  • 稲荷神社
  • 鶏石神社
  • 中門
  • 拝殿と幣殿
  • 拝殿と幣殿
  • 拝殿と幣殿
  • 本殿
  • 武内神社
  • 武内神社
  • 巻尾神社
  • 古宮
  • 古宮
  • 仲哀天皇大本営御旧蹟
  • 仲哀天皇大本営御旧蹟
  • 仲哀天皇大本営御旧蹟
  • 仲哀天皇大本営御旧蹟
  • 不老水
  • 不老水
  • 不老水
  • 早辻神社
  • 朽瀬神社
  • 御島神社(浜鳥居)

情報

住所〒813-0011
福岡市ふくおかし東区ひがしく香椎かしい4-16-1
創始そうし仲哀天皇ちゅうあいてんのう9年(200)
社格しゃかくびょう香椎廟かしいびょう)、官幣大社かんぺいたいしゃ勅祭社ちょくさいしゃ別表神社べっぴょうじんじゃ
例祭10月29日
神事しんじ 勅祭ちょくさい(10年毎ねんごと・日程は不定)
春季氏子大祭しゅんきうじこたいさい(4月17日近くの日曜)
秋季氏子大祭しゅうきうじこたいさい(10月17日近くの日曜)
古宮祭ふるみやさい(3月6日、12月6日)
HP公式HP / Wikipedia

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